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怒る事と期待する事と責任

前置き

今回は怒ることに関する話題

まずもって怒るということの定義から
感情の発露だけというのは怒るじゃなくて怒鳴るとかがなり立てると扱いまっせという感じ

認識的には説教とかそんなのが近しいイメージかなぁ

して詰まるところ怒るってのはつまりは改善要求じゃねぇかってのが持論なんですわな

変えて欲しいから怒る

良くして欲しいから怒る


どうでもいい人や物、事柄には怒りやらは沸かないからってこと

そうしてまぁ怒るという改善要求したなら

是正されているか見届ける義務が生まれちゃいませんかね?って思う訳ですわ

それってすごい優しくない?


俺は優しくないのでわざわざ改善要求を出して是正される様を監督したくはないんですよ

友達は「俺が怒ったり指摘した事でそいつの成長が促されるのが気に食わん、一生育たないままでいろ」

とも言っててまぁ様々な見方がありますわな

そもそも他人に変化を強要するというのは労力が一番多いと思うんですよね

かかる労力的に
他人を変える>自分を変える>関わる環境や人を変える
なので個人的には一番労力が少ない最後を取ることが多いなと感じるんですよね

だから優しいとか言われがちなんですがそもそも他人に怒るなり
変化・成長を促すほうが優しいと思うんですよね
世のおかん像というかそれが適するかなと思います

自分はまぁよほどじゃなきゃ
そのまま捨て置くので優しくはないなと思った次第です

俺だよ