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未来を想像してワクワクすることが出来るのは君のおかげなんだ
人生は予測がつかないから面白いんだと思って生きています。
こんにちは。
彩夏です。
今から約20年前。
私は娘であるマルコを出産した。
結婚7年目に誕生したマルコはとにかく可愛くて可愛くて。こんなに「愛おしい」と心から思える生き物がこの世に存在するという事を知った。
今はアメリカと日本。
私達親子は遠く離れて暮らしている。
学生時代、何に対しても少し斜めから物事を捉えがちだった私は「日本人やのに英語を勉強する意味がわからん」と、成績のために英語を学習する程度だった。英文法も単語も。テストをクリアできればそれでいいという考えだったから、テストが終わると脳内の英語に関することは当たり前のようにDeleteされる。
私の時代、学校の英語授業はリスニングやスピーキングに関して手薄で、先生たちの発音も「ディス イズ ア ペン」
それを「リピート アフター ミー」したところで英語力が向上するわけがない。英語が苦手な子も多かったし、私も例にもれず、全く英語に興味なく、言ってしまえば単語を覚えることが苦痛で英語の授業が嫌いだった。
こんな私の一人娘がまさか留学するなんて。
マルコが誕生した時。
一生手離さない。ずっと一緒にいるんだ。
そんな風に息巻いていた。
でも彼女には彼女の人生がある。
そのことを悟るまでにそう時間はかからなかった。天真爛漫に笑顔を振りまくマルコを見て、十年後、二十年後、私とは違う人生を歩んでいくであろう姿を想像するのが楽しみになっていった。
幼稚園の頃、一度だけ「この子は日本の教育の中では個性を伸ばせなくなってしまうんじゃないか」と思ったことがある。確信めいたものがあるんじゃなくて、規則に縛られて窮屈そうにしているマルコを見てそう思っただけだけど。
その時、もし海外の教育を受けるとしたらどうなるんだろうと、インターナショナルスクールや海外留学のことを調べたことがあった。その学費に目ん玉が飛び出た。海外赴任の可能性がない会社に勤めるサラリーマンの私達のような庶民には到底無理だと諦めた。
公立の小学校に通い、その後、友達が行くから一緒の学校に行きたいと言い出したマルコは中学受験をして中高一貫の私立高に進学した。
その学校は規則が厳しくて有名。
わざわざ中学受験までして、更に窮屈な学校に進学する必要はないと思ったけれど、結局その意思に添った。
マルコの高校時代はコロナ蔓延の時代で色に例えるなら灰色の世界。
学校に行けない日が続き、中学部の卒業式も中止になり、楽しみにしていた高校の修学旅行も海外から国内に変更になる。その他学校行事もすべて中止になった。本来なら人生において一番輝かしい、思い出をたくさん作るはずの時間は、マスクで顔を覆われ、友人たちと笑顔で会話を交わすこともままならない学校生活となってしまった。
そんな中、受験を意識し始めるころにマルコが決断した進路はアメリカに留学することだった。
英語力も全くない。
海外に行ったこともない。
親としてもそれを認めるには勇気がいる。
だけど、応援することにした。
高校3年生の夏休み、アメリカ進学の経験値としてカナダのトロントに短期留学。初めての海外、初めての飛行機。なにもかも初めての経験。
学生寮に入り、ほとんど英語を話すことができないマルコは、同室のフランス人の女の子とのコミュニケーションもままならず3週間の短期留学の半分は言葉と異文化の壁に苛まれ、ホームシックに支配されていた。
だけど、世界のどこにいても必ず自分を応援してくれる人や手を差し伸べてくれる人はいる。そのことを身をもって知った彼女はたくさんの経験を積み、ちょっぴりの自信と共に無事カナダから帰国した。
私はそのたった3週間で、マルコと離れて暮らすことの辛さを思い知った。一生手離さないと思うほどに愛おしい存在の娘を、来年には最短2年、会いたくても簡単には会えないアメリカに留学させることに不安や寂しさがどんどん押し寄せてきた。その時の気持ちをこうして文章にするだけで目が潤んでしまう。
だけど、自分の気持ちには蓋をした。
「寂しい」と言ってしまうことは簡単だけど、マルコの成長の足かせになりたくないから。
誰しもではないかもしれない、だけどきっと留学生の親はカタチは違えど私に似た思いなのかもしれない。
マルコが中学2年の頃、校内の弁論大会みたいなものがあった。
テーマは「将来の夢」
その原稿は一次審査を通り、結局最終選考で落ちた。何度マルコに読ませてとお願いしても見せてくれず、その原稿は高校の卒業式で担任の先生から頂いた。
そこには「韓国留学をしてメイクの勉強をしたい」と書いていた。
留学することはずっと夢だったんだ。
そのことをマルコがアメリカ留学を決意したあとに知った。
根が真面目で若さゆえに融通が利かない。
そのせいで低い壁を高い壁にしているときもあるし、大きく回り道をしていることもある。実際現在も、思い描いた夢を叶えることは困難かもしれないともがいている。
私に対しても気分によっては辛い気持ちをぶつけてくることもあり、私も腹が立つこともある。
だけど親元を離れ、海外の生活を経験することで、人の意見を素直に受け入れる柔軟性と、すべては自己責任であるという覚悟を身につけたように感じる。
英語が全然頭に入らなかった私。
英語の成績はずっと低空飛行だったマルコ。
「今の生活って、ほんの5年前には想像していなかったよね」めがねさんと事あるごとにこのセリフを交わす。
これから先はどうなるかわからない。
きっとこれからも想像していなかった未来が波のように次から次へと押し寄せてくるんだろう。
その波は決して安楽なものばかりではなく、時にはこちらの精神も破壊されそうになる波もたくさんあるけれど。
マルコが私達に与えてくれるワクワクやドキドキを家族で共有しながら、波に押し戻されることなく前進したい。
そして私も自分自身の未来を模索しようと思う。
半世紀を1年超えた齢やけど。