あの時のお母さんも、きっとこんな思いだったんだろうな
混沌としたコロナ渦で、オリンピックが始まった。
直前になって、スポーツマンシップとはまるで真逆の胸くそ悪い解任劇が連発し、組織委員会の方々は何をどんな風に「お・も・て・な・し」するつもりだったんだろうと、考えただけでも気分は滅入る。
マリオに扮してはしゃいでいた疑惑の多い元首相も、こんな時は知らん顔に徹するのか、コロナじゃなければ、あれもこれも表沙汰にはならなかったのかと思うと、背筋が凍る。
最後の極めつけみたいになった、障害者に対するいじめ問題発覚による解任劇においては、ひとつだけ学んだことがある。
こんなことでも無ければ、なかなか知ることも難しかったと思う。実際に障害を抱えたお子さんを育てるお母さんが綴ったノートだ。
慈悲に満ちた母の愛に、胸が熱くなった。
読み終えた後、小学生の頃に感じた、ゆきちゃんとたっちゃんを見守る優しいお母さんの眼差しを思い出した。
3年生か4年生の頃、同じ地区にひとつ上のゆきちゃんと2つぐらい下のたっちゃん姉弟の一家が越してきた。
ごくごく普通のご一家だったが、ゆきちゃんもたっちゃんも、当時でゆう特殊学級に属する知的障害をもった姉弟だった。
未熟なわたしはどう接してよいものか、少し戸惑うこともあったが、学年が違うこともあって、直接遊んだりする機会はほとんど無かった。
しかし、夏休みにソフトボール大会の練習が始まり、地区の子ども達は全員参加で練習に励んだ。ゆきちゃんのお父さんが交代でコーチ役を引き受けてくれる日もあった。
女子チームで、ゆきちゃんもユニフォームを着てみんなと一緒に練習に参加した。どんなタイプの障害があったのか、今となっては定かではないが、ぐいぐい前に出るタイプではなかったものの、練習にもちゃんと参加してれっきとしたメンバーの一員だった。
朝はみんなと一緒に集団登校して学校に通っていたし、一つ上の同じ学年の友達は、ゆきちゃんがへまをしたら、「もう!」って怒っていたし、上手くキャッチできたら「うまいじゃん!」とこれまた普通に褒めてゆきちゃんも楽しそうだった。
運動能力も同年代の子ども達と比べると、劣る部分はあったが、それでもみんなと一緒に練習できることが楽しいようで、夏場の熱い陽射しの中でも積極的に参加していたことを覚えている。
周りにいた大人達も、特に二人だけを特別扱いすることもなく、子ども達に対して同等に振る舞っていたように思う。集合写真にも写っていたので、大会の試合にも参加したはずだ。
障害があろうが無かろうが、隔てなく平等に扱った地区のお父さんお母さん方のおかげもあってか、学校ではともかく、わたしたち地区の子ども達の中で、ゆきちゃんやたっちゃんが「いじめ」の対象になることは一切なかった。
やたら優遇されて「ずるい」と感じた記憶もない。子どもの多い時代だったし、勿論色々な性格の子がいたが、相当にみな優しかったし、時間がかかれば待つし、出来ないことがあっても普通にやり過ごして育った。
そして、そんなゆきちゃんやたっちゃんの傍らには、いつも二人を温かく見守るように常にお母さんがいらした。どことなく申し訳なさそうな、遠慮がちな笑顔が印象深い、物静かなお母さんで、とくかく優しそうだった。
宿題を忘れて遊んだ時の、実母の鬼のような形相など絶対にしなさそうな、慈悲に満ちた優しいお母さんに見えた。
しわいわよしこさんの「障がい児へのいじめの話しをする前に、話したいのはどんなに愛してきたかということ」を読んだとき、フラッシュバックの如く、ゆきちゃんとたっちゃんを見守る、あの優しい眼差しのお母さんを思い出した。
もう30年以上も前のことだけど。
もしかしたら、ゆきちゃんとたっちゃんのお母さんもそうだったのかなと。
当時の優しい眼差しの思いに、少しだけ近づけたような、そんな気がした。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
開会式、できればもっと清々しい気持ちで迎えたかったな!!