【短編法話】お浄土を想う-〔毎月発行〕さいほうじの読みもの『世間解』9月号


短編法話担当:西法寺住職

 皆さまにはご本願のおはたらきの中、爽やかな季節を感じつつ「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことと存じます。以前にもお聞かせをいただいたことでありますが、お彼岸のご縁に改めて…。


 さて、我々のご宗旨は“浄土真宗”と申します。
 阿弥陀さまが、「お前さん、必ず私の浄土に生まれてかえってくることが出来ると欲って、それまでの日暮らしはお念仏を称え聞きながら生ききってくれよ」と願い、その通りにおはたらきくださっている本願力のことを“浄土真宗”とおっしゃってくださったのであります。

 “お浄土に生まれさせていただくことを真のよりどころ、かなめ(宗)とさせていただく生き方”ということであります。彼岸とはお浄土のこと。私にとってお浄土とはなんでしょう。“お浄土”のことを想うのであります。


  利井明弘先生は、

 家の坊守(聡子坊守)がね、下の子が 生まれたときに、実家のお父さんご往生になってね。すぐに聞かせてたら身体にさわったらアカンからいうて 一ヶ月ほどしてから伝えたんですわ、そしたらしばらく黙っててね…。泪こらえて最初にポソッというた言葉が「だんだん家に帰りにくなるなぁ」いうことでしたわ。
 エエですか、お浄土てね、またあえる世界。私たちが“いのち”終わって帰る世界、それがお浄土ですわ。それには帰る場所と、待ってくれる人と…。懐かしい人とまた会える場所。それがお浄土です。

とお教えくださいました。


 梯實圓和上

 私は姫路の奥の夢前という所の出ぇ なんですが、父や母が元気な頃なんかに家に帰りま すと、 母が〈おお、よう戻ったなぁ〉いうて迎えてく れますし、 父も〈今夜は久しぶりに一杯やるか〉なん かいうていいますし、私は、私で〈ただいま~〉いう て帰ったもんです。自分の家は〈ただいま~〉いうて帰れるんですね。
 しかし父や母が居らんようになりますとね、自分が生まれた家であっても〈ただいま~〉とはいいにくくなるんですね。これはしゃあないわ、今やったら甥っ子がちゃぁんと家を守ってくれてますけど、‘家に帰る’というよりも‘家に行く’という感じになりますもんね。
 やっぱり〈ただいま~〉いうて帰れるのは親の居るとこですな。お浄土はそうなんですよ。〈お邪魔します…〉と違って〈ただいま~〉いうて帰って行けるとこですわ。ほんまでっせ。

とおっしゃっていました。

山本仏骨和上(梯和上のお師匠さま)は、
ご病床で上に向って何か指を動かしておられていた。その時、看病をされていたご子息 攝叡先生の奥さまと和上の会話はこうだったそうであります。

「お父さん何してはりますの」
「うん、字ぃを書いてるんだぁ」
「なんて書いてはりますの」
「これは、帰悦と書いてるんだ」
「帰悦てなんですの」
「帰悦、悦んで帰らせてもらうちゅうことや…。平とういうたらなぁ、 親元に帰らせてもらうんだなぁ…」

 お浄土は決して遠い遠い所にあるのではありません。ご往生くださった方は遠い所に居られるのではなく今お念仏となって、何時でも何処でも私と一緒におってくださるのです。

 私が悦んで「ただいま~」と生まれていける所。先立たれた方々が待ってくださっている所。お浄土とはそういう所だったのであります。お浄土があってくださってよかったなぁと思うのであります。     

合 掌

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