権化の仁(ごんけのにん)-短編法話-
『世間解(せけんげ)』2024年7月号-〔毎月発行〕さいほうじの読みもの-
七月になりました。今年も半分がすぎたのであります。皆さまには、雨の中、暑さの中、いろいろな思いと共に、ご本願のおはたらきによって「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことと存じます。
さて、先月は「権化の仁」ということを少しお聞かせいただいたのであります。
権化の仁について親鸞聖人はお手紙で、
このようにおっしゃっています。
権化の仁とは
聖道門の人たちは権化の仁である。とおっしゃるのであります。現実には聖道門の人びとによって親鸞聖人は法然聖人とともに遠流の刑に処せられるという大変厳しい目に遭われたのであります。しかし、それも機縁となって阿弥陀さまの救いの法を深く味わい確認することが出来るようになった。
あの流罪という縁がなければ自分は京都で不自由なく仏道生活を送り、その日その日の“いのち”をつぐだけで精一杯であるという人びとの生活に触れることもなかったであろう。
法然聖人によって阿弥陀さまの本当の救いのあり方を知るご縁に遇い、そこから振り返る時、あらゆる出来事が、阿弥陀さまが私に阿弥陀仏の救いを知らせてくださる出来事であったと味わうことがおできになられたのでしょう。
〝王舎城の悲劇〟から味わう
むつかしい言葉がならびました。これは親鸞聖人が『教行証文類』の序分にお書き残しくださったご法語であります。
『観無量寿経』というお経さまには提婆達多という仏弟子が仏教教団を自分のものにしようと画策をし、皇太子である阿闍世をそそのかしてクーデターを興さしめて父である国王を幽閉し、なんとか国王を助けようとした王妃であり母親である韋提希をも阿闍世は幽閉してしまうという事件が説かれています。王舍城の悲劇といわれるものです。
座敷牢に閉じ込められて、もう夫であり国王である頻婆沙羅王を助けにいくことは出来ない、自分も何時どんな目に遭うかもしれない。絶望のどん底で韋提希はお釈迦さまに救いを求めるのであります。
韋提希が幽閉されている座敷牢にやってきたお釈迦さまはそこで阿弥陀さまの救いの法があることを説き述べてゆかれる…。というのが『観無量寿経』というお経さまのとても大雑把な内容であります。
あのひとも もしかしたら・・・
この事件はいくつかのお経さまに説かれていて実際にあった出来事のようであります。
しかし、親鸞聖人はこの事件をただの事実としてお考えになるのではなく、この事件の登場人物はみんなお浄土からおこしになって、私に阿弥陀さまの救いの法があることをお教えくださるご縁を調えてくださった方々、すなわち権化の仁であるとご覧くださるのであります。
先ほどの法然聖人を流し者にした聖道門の人びとを権化の仁であるというお領解は親鸞聖人のただのお味わいではなく、『観無量寿経』というお経さまの中にも確認できるものであった。
私の味わうことの出来るあらゆる人やご縁は、阿弥陀さまのおはたらきが権化の仁となって私に阿弥陀さまの救いがあることを気づかせ、私に「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏をさせてくださる尊いご縁を調えてくださるご本願のたまものなのかもしれません。
合 掌