見出し画像

衣食住の三は、念佛の助業也。


西法寺住職の短編法話


あたらしい歳になりました。
 有縁の皆様方にはご本願のおはたらきの中「なんまんだぶ、なんまんだぶ…」とお念仏ご相続のことと存じます。昨年は何かとお世話になり誠にありがとうございました。本年もご一緒にご聴聞重ねさせていただき、お育てに与ることであります。何卒よろしくお願いもうしあげます。

いのち恵まれている

 昨年、元日の能登半島地震から一年が過ぎました。被災された皆さまやご関係の方々にはその後も大雨や、続く地震で大変な一年をお過ごしになられたことと思いますし、これからの道のりも容易いものではないでしょう。
 能登の地震だけでなく、あらゆる被災を免れた者は出来るだけのことをさせていただかねばなりません。本当に、何時どこで何が起こるかわからない処に私は“いのち”恵まれているのだなと思うことであります。


除夜の鐘に思う


 さて、もう何度目でしょうか。除夜の鐘をつき始めたのは昭和48(1973)年でしたから、今回で52回目になるのでしょうか。


 昨年の大晦日はお天気にも恵まれ、多くの方が除夜の鐘を撞きにお越しくださいました。最終的には225人の方がそれぞれの思いを込めて鐘をお撞きくださったのであります。

 毎年近隣の皆さまには温かく除夜会を見まもってくださり、本当に有り難いことと思います。あまり夜中まで鐘の音が響かないように一昨年より午後11時から除夜の鐘をつき始めています。

色とりどりな響き

 住職が最初に撞かせていただき、11時半から大晦日、新年と歳をまたいでお正信偈さまのお勤めをさせていただきます。
 毎年のことでありますが、お勤めの準備をさせていただいている時や、お勤めのあいだにもゴ~ンという鐘の音が響きます。


 今までもそうであったかもしれませんが、今年は殊にお勤めの準備のあいだの鐘の音に色んな響きがあることに思いが至りました。


 ガ~ンという力強い音コ~ンという優しい音ゴ~ンという静かな余韻のある音…。音に様々な表情がありました。私はご本堂におりましたので、鐘を撞いてくださっている方の姿は見えませんが、

「お歳を召された方、壮年の方、青年、学生さん、小学生から小さなお子さんまで、色んな人がそれぞれ色んな思いを込めて撞いてくださっている音色なのだな」

と、なにかとても有り難く味わわせていただいたことでありました。


それぞれを包む阿弥陀さま


それぞれの思いがあり、それぞれの希望があり、それぞれの夢があり、それぞれの反省があり、それぞれの悔しさがあり、それぞれの慶びがあり、それぞれの考え方があり、それぞれの日暮らしがあり、それぞれの“いのち”があってくださるのであります。

 そのすべてを包み、支え、間違いや愚かさに気づかせてくださるお育てのおはたらきがあってくださいます。“なもあみだぶつ”であります。

 “なもあみだぶつ”に包まれていない“いのち”や事柄はありません。しかし、私を包んでくださることは、すべてを許してくださることではありません。

 山本仏骨和上は、

「阿弥陀さまの救いとは、罪を許すことでも認めることでもない。そのものに自覚を与えることだ。」

とお教えくださいましたし、

梯實圓和上は、

「阿弥陀さまはどんなものでの救ってくださるけれども、どんな事をしてもよいとは一言もおっしゃっていないんだよ。」

とお諭しをくださいました。


 阿弥陀さまのご本願のおはたらきは、どんな状況の私の上にも途切れることなくかかり続け、私を支え、育て、矯めなおしてくださっているのであります。お念仏もうさせていただくことであります。


 山本攝叡和上は、

「私の上におこってくるあらゆる出来事はお念仏を申すご縁になってくださるのでしょうね」

とおっしゃっていました。


 早いもので、2月は西法寺前坊守の13回忌になります。2月13日の定例をお借りして法要をお勤めさせていただきます。

 どうぞこのご縁に西法寺にお参りただきお念仏申していただければと思うことであります。お待ちいたしてております。     

合 掌