秋の乗り放題パス「ぐるっと西日本!3日目~萩・津和野」
2024.10.13(日)
また暗いうちに出る。この生活も3日目になると、なんとなく体が慣れてくる。コンビニで地方紙を買い、駅に向かう。隣りの県から総理が生まれた報道が、まだ紙面を賑わせているようだ。
高架のホームにはまだ列車は来ていない。朝の息を思い切り吸い込むと、この地域ではこの時期「神在月」と呼ばれることを思い出した。
ここから益田へ向かう。始発は小さなディーゼルカーの2両編成だった。部活へ行くと思われる高校生が何人か乗り込み、今日の旅が始まった。
徐々に、夜から朝へ景色が移ろっていく。海からではなく、背後の中国山地から日が差し込み、日本海の海上の雲を朝焼けで染めていく。
小田という駅からまた日本海に沿って走る。だんだんと赤い瓦の屋根が増え始める。石州瓦というんだそうだ。うとうとしながら高校生が乗り込みんでくると目を覚まし、またうとうと…を繰り返しながら西へと向かう。
太田市、温泉津、江津…特急が止まる駅ごとに高校があるのだろう、停まっては乗ってくる、を繰り返す。今はテスト期間なんだろうか、やたらとスマホではなく勉強を車内でする子が多いような。
石見銀山…いいね。行ってみたい。江津…三江線があったころ、来てみたかったな。
浜田では乗務員の交替やら交換やらで18分の停車。日は高く上り、ここから朝ではなく午前になるような、町の目覚め…という雰囲気がする時間帯の駅だった。
漁港がある集落が点在し、それらの集落は決して小ぢんまりとはしていない。日本海に向かって自分たちの浜が面していることが、明るいような印象を持つ集落ばかりだ。
天気がいいと、旅する気分もいい。
出雲市から3時間、各駅に停まりながら益田へ歩みを進める。
終着駅の1駅前で9分停車するあたり、この列車の図太さというか、おかしみを感じる。自分は急ぐ存在ではないので、という泰然自若ぶりというか。
実は益田がこの旅の目的地だった。
そう、友人に会いに…ということを初日の項で書いた。のだが、なんでも体調不良になったらしいと昨日連絡を受けた。このまま益田をに降り立つか、それとも先へ行くか。まだ悩んでいた。
ホームの向かいにキハ40が停まっていた。東萩行だという。
萩には行ったことがなかった。そして、ここから東萩までの区間に乗ったこともなかった。
行っちまうか。益田は、また彼が元気になった日に案内してもらおう。
どこまでも日本海が続く。どこまでも石州瓦の家並みが続く。
入江、トンネル、集落。
絵画のような風景に入り込んだような時間帯だった。
この益田以西の区間は閑散とした本数で、朝9時以降、この列車を含めても日に4本しか列車が走らない。この便を逃すと午後まで列車はない。
車内は連休だから出かけてみようといったノリの壮年の団体が数組。話す方言が澄んだ中国地方方言だった。
窓を開けて潮風を入れる。
仏峠という峠を越えると山口県に入って、須佐という規模の大きな町の駅に着くと、車内の比較的年齢層の若い人たちが一斉に降りた。
そこまで遠くない沖合に島が見えてきた。大島というらしい。あの島には人がいるのか、居るとしたらどうやって渡るのか…と考えていると、終点の東萩に着いた。
萩に何があるかは、なんとなく分かる。
ただ、なんとなく…であるために距離感がいまいちつかめない。駅から遠いのか、行けるのか…など。
駅に併設されている観光案内所に地図をもらいに行くと、バスかレンタサイクルを勧められた。レンタサイクルを借りる間は荷物を預けることができるそうなので、変速なしのママチャリを借りることにした。
受付をしていた初老の男性はロサンゼルスの青い野球チームの帽子を被っていた。賊軍の岩手県民として、山口それも長州のお膝元でこの帽子を見るのは新鮮だった。
川の中州に発達した町の萩は、基本的に平坦なのでママチャリでも苦ではなかった。
チャリを返却し、ここからの選択肢は2つ。
1…山陰本線で長門市、仙崎をめぐる
2…バスで津和野へ、SLに乗って新山口へ
前者は未乗区間に乗ることができるが、雨による不通区間があることが難点。後者はSLに乗ることができるが、過去に2回乗ったことがあるというのも事実。
20分ほど悩んだ結果、後者にすることにした。
駅前からバスに乗って、1時間半ほどの所要時間だ。県道11号は快走路で、遅い軽トラによって進みが悪いということもなく、稲刈りが終わったばかりの里山の中を進んだ。自分のほかには親子連れが1組、同じく東萩駅から乗り続けていた。
黙って乗っていても津和野駅まで行けるバスだったが、途中から山口線と並走する区間を走ることがわかると、予定を変えて三谷駅入口というバス停で下車した。
バス停はあくまで入口であって駅前ではなく、バス停から100mほど歩いて待合室が見えてきた。ここで30分ほど待つことに。このような無人駅でも特急が停車するようで、待っていると新山口へ行く特急が入ってきて、誰も乗ることなくすぐ発車していった。
スマホでCSファーストステージ第2戦を追いながら待っていたので、特に暇することはなかった。待合室は虫の死骸が多かったため、ホームで待つことにした。暑い。10月だというのにツクツクボウシの声が聞こえた。夏をもう一度やり直しているような感覚だった。
さて、せっかくここまで来たのだからSLを満喫しよう。
列車名をSLやまぐち号という。日本で一番運行実績の長いSL列車だ。
津和野を発車すると、右側に市街地を眺めながら線路は標高を着実に上げていく。サミットのトンネルまで登り勾配が続くはずが、さすがはパワータイプのデゴイチ、さくさく登っていきますね。
短いトンネルを5か所くぐり、名物撮影地の白井を通過すると、白井トンネルで県境を越えて山口県に入る。ここからは阿武川水系に出て、しばらく盆地の平坦区間を走るため、おそらく日本中の復活蒸気では最速のペースなのでは?というスピードを出す。
徳佐~鍋倉付近ではリンゴの収穫期を迎えているようで、車窓の右にも左にも果樹園の広告が見える。同席した福岡から来たと言う女性が、ここがリンゴの産地であることを教えてくれた。岩手から来たと言うと女性よりも通路を挟んだ向かいのボックスにいた男性のほうが驚いていた。「もっと近くにSL走ってるでしょ?」「まあそれはそうなんですけどね…」
やまぐち号の大好きなところは、
編成後部に展望デッキが設けられていること。
風と煙、煤と石炭の匂い。
みんな、そういうことに触れ合うのが好きなんだな。
この車両ができて7年しか経っていないが、安全管理が厳しくなっているこの時代に、あえてこの展望デッキを設けたJR西日本に賞賛の声を送りたい。
篠目を過ぎると、この路線最大の難所、田代峠に挑む。
快走していた区間から一気に速度が下がり、一歩一歩、歩みを遅くしながらも着実に高さを詰めていく。
坂の頂上を過ぎ、列車の速度が速まる。長笛一声。路線最長の田代トンネルに突入。坑口がどんどん遠ざかる。たくさんデッキにいた乗客も、みんな客室に戻り残ったのは自分含め物好き?4人だけ。男の子と母親の二人組は、母親がハンカチを男の子にあてがっていた。
コウコウ、とレールの音が坑内に響く。
トンネルを抜けるとすっかり夕方になっていた。
山口、湯田温泉では自宅から手を振るちびっ子も多く、すっかりこの町では汽車が通ることが日常になっているのだと感じる。汽笛が鳴ったら家に帰りなさいという言葉があるのかもしれない。
周囲の建物が高くなり、左から新幹線が擦り寄ってくる。
新山口はまもなくだ。
今日は広島まで行こう。
頑張ればさらに先まで行けそうだが、ふとお好み焼きが食べたくなった。
乗り換えはわずかに2回。岩国行に終点まで乗り、そこからまた乗り換えて約3時間半の行程だ。
柳井を過ぎると瀬戸内海が迫ってくる。暗闇の中なので想像するしかないのだが、漁火がチラチラと見える。昼間の時間帯にに乗ったことがあるが、寝台特急のあったころに一度乗ってみたかった区間である。
岩国まで来ると、さすがに疲労感が出てきた。
宮島航路の出る宮島口を過ぎ、広島に着いたのは夜10時だった。
この時間から空いているお好み焼き屋さんを探すのは、実は大変だった。4,5軒断られて、やっと雑居ビルの2階に入る店に入った。
昼間のコンディションならば2枚は行けただろう。疲労が見えてきて1枚しか食えなかった。この日のネカフェは横になれる区画が取れず、椅子席で一夜を明かした。連休とはいえ仕方ないが、日を追うごとに宿のクオリティが下がっていくのは滑稽味さえ感じた。
明日は最終日。とにかく関西を目指して、東へ、東へ。