襲いかかるマルクス・アウレリウス・アントニヌス

 高校の頃は世界史が得意科目だった。好きだったのもあるし、授業で使う資料集も読み物として面白いと思えたし、用語を覚える楽しさもあった。
 その反面、大学受験として真剣に勉強する必要もあった。隙あらば用語集を開き用語の文字列を脳にひらすら焼き付けていく作業。風呂に入りながらルネサンス期の文化人と代表作品をひたすら暗唱する、といった機械的な勉強法をやり続けていた。自分はAIではないので、ひたすら覚えるしかないのである。
 そのおかげもありセンター試験(現、大学入学共通テスト)ではかなりの成績だった(他教科は失敗したものもあったが)。
 もっとも、その年の世界史は易化したらしく、他の受験生とあまり差を付けられなかったのは悔しい所ではある。いやはや受験というものは難しい。

 知識はアウトプットしなければ忘れていくもの。必死になって覚えた世界史も、大人になった今では断片的にしか覚えていない。
 この「断片的な記憶」というのが意外と厄介だったり。
 記憶が脳に焼き付いているとすれば「断片的な記憶」というものは表面に出来てしまったかさぶたみたいなものになるんですかね。そのかさぶたが厄介で、ふとした瞬間にかゆくなってくる。そしていざ掻いてみると、急に世界史用語が頭の中を右から左へ通り過ぎていく。もちろん、断片的な記憶であるが故、その用語の意味する事柄は一体どんな出来事だったのか、人物名であっても、それがどんな人物だったのかというのが待てど暮らせど思い出せない。
 「カルロヴィッツ条約」って何でしたっけ?
 「イブン=ハルドゥーン」って誰でしたっけ?
 受験生なら叱られるレベルである。よかった受験生じゃなくて。

 思い出してしまった時、なのに思い出し切れない時のもどかしさと言ったら。ただありがたいことに、今はテスト中でも無ければマークシートとにらめっこしているわけでもない。調べればすぐである。ネットで一発。wikiを見るもよし、世界史の窓を見るもよし。調べて、その時だけでも納得して、喉のつかえを取っておく。まぁ結局は忘れて、再び検索バーに単語を入力エンターキーを押す事にはなるんですが、別にそれでもいいんじゃ無いかと思思う。忘れたままにしておくと、忘れた事すら忘れてしまいそうで、何だか怖い気がする。正直、忘れてもいいものばかりだとは思うが、多分そこはもう自己満足の域なのかもしれない。
 あとほら、覚えてるとカッコいいじゃん。(モテはしないだろうけど)

 というわけで、最後に古代ローマ帝国の五賢帝の名前を言ってみようのコーナー。受験期に何百回と暗唱したやつ。語呂合わせとかじゃなく、ただただ力業で覚えたもの。

 ネルヴァトラヤヌスハドリアヌスアントニヌス・ピウスマルクス・アウレリウス・アントニヌス

 リピート、アフターミー。

おわり

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