一期一会の答えは分からない
【一期一会】という言葉は、茶の湯を大成した千利休の教えが語源とされている。「茶会でお会いする相手とは一度きりなのだから、敬意をもってもてなすべし」という心構えを弟子が書に著し、江戸時代の大老である井伊直弼がこれを引用、「たとえ同じ相手でもこの茶会の時は一度しかないのだから、変わらず礼を尽くすべし」と説いた。そこでは「一生に一度の出会いを大切に」は勿論、「何度会ったとしてもそれは一度しかない出会いなのだから大切に」という事を述べている。
そこから【一期一会】という四字熟語が現代へと伝わっていったのだそうだ。
この話を知ったとき、ふと大学生の頃を思い出した。
当時は就活中だった。地方の大学に通っていたが就職は関東圏でしたいと思い、授業の合間を縫って高速バスに乗り関東へと移動するというのを月一回以上はこなす生活をしていた。バイトや部活が重なっていたりして、それはそれで楽しくもあり忙しくもあり大変な日々だった。ある意味大学生らしい生活だったかもしれない。
その日も関東遠征の帰りだった。高速バスがようやくターミナルに着き、ここからまた電車に乗り換えて自宅最寄りの駅まで向かわなければならない。
その日は天候が悪く、ダイヤにも影響が出そうなほどで、頼むから真っ直ぐ帰してくれと願っていた。しかし、そういう願いをした時ほど神様というのは天邪鬼になりがちで、二駅ほど進んでからほどなく運行見合わせとなってしまった。
駅員に聞くと路線バスは動いているということで、私は駅を出て近くのバス停に向かった。雨がザーザーとけたたましく降っていて、しかもこれからバスを待たなきゃいけないとは、と、ますます気が滅入っていた。勘弁してくれよ。
幸いにもバス停には屋根がある小さな待合所みたいな場所だった。椅子もあったため、ため息を吐きながら腰を下ろした。
すると数分後、一人の女性がバス停へとやってきた。おそらく私と同じ大学生くらいだろう。それなりに大きめの荷物を持っている。
「雨すごいですね」
雨音だけが屋根に当たりボツボツと響く中で、その女性が話しかけてきた。まさか話しかけてくるとは思わず、少しびっくりしたのもあり、妙な間があったように思う。
「そう……ですね、電車も止まっちゃって」
「ですよね。もしかしてあれですか、就活とかですか?」
「あぁはい、そうなんですよ」
私はその時スーツを持っていたこともあり分かりやすかったのだろう。
「私もなんですよ」
彼女も遠方で就活をしてからの帰りだったようだ。
それからはっきりとは覚えていないが、バスが来るまで、互いにこれまでの就活の経験を話した気がする。ただの井戸端会議と言われればそうなのだが、夜遅くに電車が止まりバスで帰らなければいけなくなった今の精神にはかなりの安定剤になったような感覚があった。就活帰り、電車の運行見合わせ、バス停。偶然居合わせただけの二人というシチュエーションにも、どこか特別感を感じていたのかもしれない。
やがてバスがプシューと音を立てながら到着した。直前まで就活話に華を咲かせて我々は黙って乗り込み、別々の座席に腰を下ろした。バスの中では一切喋らず、雨が窓にぶつかる音とエンジン音を聞きながら、暗闇の街灯をひたすら眺めていた。
やがて、彼女の方が先に降車した。出口に向かいながら、彼女は私の方に軽く会釈をした。声は発していなかったが「お疲れ様でした」と言われた気がして、私も同じように会釈を返した。
その次のバス停で私は降車した。雨はまだ降り続けていた。
後日彼女と大学内で偶然出くわすという事もなく、私はまたいつもの陰気な大学生へと戻っていた。連絡先を聞いていれば良かったなとか、そういえば名前すら知らないなとか、そんな後悔は微塵も無い。
ただ、今でも覚えているという事はやはり特別な経験として私の中に刻まれているのだろう。それはおそらく、バス停で会ってからの数十分間、礼節を持って接する事ができていたのかという事が心残りに思っているからかもしれない。
いや、礼節という言葉では少し仰々しい。簡単に言えば「失礼が無かったかどうか」だけが気になっている。果たして私は、千利休や井伊直弼が説いた【一期一会】をあの時出来ていただろうか。茶室に似たこじんまりとしたバスの待合室で、私はうまくお茶を点てられていただろうか。
あの時の彼女が今何処で何をしているか知る由も無い。ただ、どこかの場所で、バスの待合室で、就職先で、おいしくお茶が飲めている事を願うばかりである。
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