首を傾げルト
「電車に乗ると、多くの人がスマホを見るために首を前に傾げている。そこには何の計画性もない。乗客達は何の示し合わせもせず、にも関わらずそのような状況が生み出されている。
これはどう考えたって異常な現象だ。
どこかでハーメルンが笛を吹いているのではないかと思ってしまうくらい、皆一様にスマホを覗き込んでいる。つまり、スマホは悪意を持ったカルトによって生み出された洗脳装置なのだ。そう言わざるを得ない。テクノロジーの発展とともに生み出されたその装置は、その実は現代文明の呪物なのである。発せられる微弱な電磁波、それにより生み出される未知の病魔に、彼ら彼女らは侵され、操られているのである。
キリンが木の高い場所に生えている草を食べるために首が長くなったと言われている。だとすると、このままだと人類はスマホを見やすくするために首が前に傾くように進化してしまうことになるはずだ。
そんな未来がすぐそこまで来ている。
今や一人一台は持つようになったスマホ。その裏には、知られざる陰謀が渦巻き、暗躍するカルト集団が存在し、真実が隠匿され続けているのである。信じるか信じないかは貴方しだ」
と、悪ふざけはここまでにして止めておくことにする。さすがに言い過ぎである。
ただ、100%完全に暴論であるかといえば、少し違っているようにも思う。誰しも「同じ動きをしている事へのちょっとした不安」を感じたことがあるのではないだろうか。軍隊の行進や日体大の集団行動など、綺麗に揃っていて美しくはあるけど、何故か不気味さを感じてしまう、あの感覚である。
調べてみると、人間という生物は個を重んじる傾向にあり、集団行動を見ると不安や抵抗感を覚える事があるらしい。電車の中に限らず、人々がスマホを見ているその状況もある意味集団行動と呼べるものであるならば、得も言われぬ不安を感じることにもどこか納得できる。
とはいえ、それを社会的な問題として考えたところで、「いちいちそんなの気にしてられるか」と一蹴されて終わりである。そう、別にそんな気にすることではないのである。もちろんマナーが守られ、迷惑をかけていないという前提はあるが、別に電車の中でスマホを弄っているのだって何ら不思議ではない。連絡、情報収集、エンタメ等々、スマホには多種多様な用途がある。時間の有効活用としてスマホを使用することは、ごくごく自然で日常茶飯事の振る舞いであり、わざわざ角が立つように言う必要はない。
溜飲を下げて万事解決。
そんな事を考えながら、私は電車に乗っていた。私が考え事をする時は何も見ず、ただただ目の前をぼんやり見ていることが多い。しかし、その日の目的地はあまり行ったことのない駅というのもあり、電車内ビジョンに映る運行状況を逐一確認していた。
(えっと、次はどこで降りて乗り換えだっけな)
記憶はしたつもりだが、どうにも不安で目的地までの乗り換え情報を確認する。ビジョンに目的地が出るはずもなく、私はポケットに入っている装置を取り出した。
いやぁやっぱ電車内でスマホって見ちゃうよね。しゃーない。
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