大人になって、勉強を始めた
12月某日、世界遺産検定2級を受験した。9月に3級を受けたので、今年後半は世界遺産の勉強がメインの生活と言っても過言ではない。3級は合格し、2級もおそらく大丈夫だろう。来年は1級取得を目指してみようかと思っている。
大学を卒業してから久しくアカデミックな勉強はしてこなかったし、勉強をする経験も久しぶりだった。世界遺産検定の勉強はとにかく知識、知識で、ひたすら暗記をして頭に沁み込ませる作業が続く。それは、高校受験に向けて世界史をひたすら頭に詰め込んでいた時の感覚に似ていた。さすがに当時のように、シャンプーを洗い流しながらルネサンス期の文化人を暗唱し続けるみたいな事はしなかったが。
勉強は王道でシンプルに。「とりあえず全部覚えたらええんやろ!テキスト丸暗記や!」というスタンス。我ながらバカだと思う。テキストは何周も読み込んだ。Webで自由に単語帳を作成できるサービスを見つけたがしっくりこなかったので、エクセルでマクロを組み独自の単語帳を作ったりもした。テキストを要約し、それをセルにひたすら入力する作業は楽しくもあり辛くもあった。
今思えばもう少し効率の良い方法があったかもしれない。しかしそれが功を奏したのか、本番の試験では余裕をもって回答を進められたと思う。
がむしゃらに暗記する、なぜそのような勉強法をしたかというと、「付け焼刃にしたく無かったから」というのが大きい。検定合格の肩書は、あくまで試験当日時点で知識として身についているかを証明するものでしかない。合格したから終わりではなく、一生モノの雑学として蓄積しておくためには、ちょっとやそっとでは忘れられなくなるまで頭にこびりつかせる事が必要だ。恥ずかしさを押し殺して喩えるとすれば、人生の履歴書の趣味・特技欄に「世界遺産」と書けるようになりたいのである。会話中に「少し嗜んでおりまして~」と会話のネタになってくれたら万々歳である。
そんな事を勉強しながら、はたまた試験が終わってから考えていた。他の人が何をしていようが、何を言われようが、結局は自己満足して、お酒を飲んで、一人ほくそ笑んでいるのが一つの到達点なのではないかと思う。今の仕事に役に立つわけでもなく、今後役立たせるつもりもない。したいから勉強をする、その原動力は探求心と好奇心であり、自分の人生に少しでも色があれば良くて、出来る事ならタイトルロゴが金色で箔押し加工されるのがベストである。
無粋ではあるのだが、「大人になってしなくてもいい勉強をするという事」の理由を敢えて述べるとしたら、そういう事なんだと思う。
今回受けた2級の範囲は、「日本の世界遺産+海外の世界遺産300」が範囲だった。これが1級になると全世界遺産となる。件数は1121件、2の10乗よりも多い。さらにテキスト情報の粒度も上がる。単純に考えて今までの5倍くらいは頑張らないといけないと思うと、まじぴえんである。
ただ、もうテキストを買っているのでおそらくきっと受験するんだろう。まだ申し込んではいないので、保証はない。結構高いし……。
来年は何を勉強するか分からないが、ある程度は決まっていたりする。まぁでも、明日は明日の、来年は来年の風が吹くといいうことで。ぴえん超えてぱおんにならなければいいかな。
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