【読書録】大好きなほんを探して⑤(2021.5)
ほとんど小説かマンガかゲームかネトフリ、という生活で、ネトフリをつけてもなんだかあんまり映画を観ていない(ちかごろはずっと「進撃の巨人」観てました。最終話コミックス待ってるからネタバレしないで。。)。
映画館で観たりするのは別なんですけど、たぶん、せっかちで気分屋なので、見始める前から2時間も椅子で拘束されるのが決まっちゃうのがあんまり好きじゃない、みたいなところがあるんだろうな。
と、こないだ金ローで「スタンド・バイ・ミー」をチラ見してたら、やっぱり映画もいいですよね、ってなって、なんか観たい。何観ようかな。
ネットフリックスってオリジナルコンテンツありすぎて全然追えないし、なんか、もうほんと、洪水。
ネトフリで思い出したけど、俵万智がnoteで「愛の不時着」考察的なことめっちゃ書いてて最高だからあとでちゃんと読もう。
①『掏摸(スリ)』中村文則(河出文庫)
中村文則、ちゃんと読んだことなくて(ことしは「ちゃんと読んだことなかったやつの回収」めっちゃ多い)、まずはこれから。
帯いわく32万部! すごい~売れてるな~。
光が目に入って仕方ないなら、それとは反対へ降りていけばいい。(p.157)
スリ師が超絶テクでスリまくって、ツテでヤバい仕事に足突っ込んでって、途中である少年と出会って、ていう。
分量は200ページないくらいで、わりにさっと読めるけど、会話文が全体的に暗い……というか、文章自体も荒涼としていて(うん、重厚、とかよりも「荒涼」のほうがしっくりくる)、なんだか殺伐とした感覚で読み進めた。雨降ってないシーンでも雨降ってんじゃねえかって感じるみたいな薄暗さがあって、それは好きです。
話自体は、そこまで入り組んでいる気はしなかったけど、スリを働くシーンがかなりスリリングでいい感じだな~と思っていたら巻末にスリ関連の参考文献がご丁寧に載っていた。ほええ……という感じ。フィクションなんだからそこまで厳密にいかなくても、と思うけど、あとがきとかも書く人だし、そのへんの「本」としての体裁をちゃんとしたい人なんだろうな。
どこかの書評サイトで、悪漢エンタメと純文学のミックスを狙ったんだろうけど、うんぬん、というコメントがあって、まあそんな感じなのかねえと思ったけど、たぶんこの本の魅力はそこだけではなくて、「若さ」とか「青さ」がズバーーンと感じられるストレートなところなのでは? と思う。
「……光る、長いものが、外の高いところにある。どこかの外に、私は出たみたいになる。そして、それを見ながら、あれはなんだろう、と思う。それは奇麗で、雲より高くて、先が見えない。それで思うんだ。私はあそこにはいけない、この煙みたいに熱くなる今のこの白が、頂点だって。(後略)」(p.96)
セックスシーンとかもそんなに官能的だと感じない(ドライすぎて主人公のアレが機能している感じがしない)し、リアルさが希薄に感じる部分もあったけど、こういう抽象的なフレーズとかがトンと入ってくるとけっこう気持ちいい。薄暗さのなかに、すうっと光が入ってくるようなフレーズ。わかりづらいように見えて、かなり直球に感じる。著者のなかにこういうイメージが明確にあるんだろうな。(当たってるっぽいです、あとがき的に)
さいきん『カード師』も出したようで、やっぱり悪漢エンタメ+純文学の人なのか? と読んでないうちから勝手に思ってますけど、個人的にはデビュー作の『銃』をつぎに読みたいと思ってます。
②『猫に時間の流れる』保坂和志(新潮文庫)
新刊書店に全然ないやつ(たぶん絶版)を、amazonで中古でおっかけるくらいには好きですぜ、HOSAKA……
新潮文庫の1冊目で、「猫に時間の流れる」「キャットナップ」の2編を収録。
なんかね、もう、けっこう問答無用で好きなんですけど、「猫に時間の流れる」は、たしか「本の雑誌」内「作家の読書道」で、磯崎憲一郎さんもいちばん好きな保坂作品に挙げていた気がする。
3室ある同じ階のアパートの、真ん中に僕は住んでいて、両隣の美里さんと西井がそれぞれ猫を飼っている。そこに、ノラの「クロシロ」が時おりやってきて、コイツがかなりいたずらっ子&やっかい。
ドアにおしっこひっかけるわ、こっちの猫と喧嘩して痛手を食らわせるわ……で、やれやれ、と思っているうちに時間が経つんだけど、こんどはそのこっちに迷惑をかけてきたクロシロが、どうも体が弱っているらしいことがわかってくる。
小説全体でも100ページないのに、数年単位の時間の流れで語っていて、それがとっても鮮やか。何てことない物語だけど、さいごの一文は不覚にもけっこう胸にくる……
そうなんだよな、保坂作品って、淡々と日常が進んできたと思ったら、最後の方でけっきょくその「淡々さ」が回収されるんだよな。日常を収斂させるフレーズが用意されている。そこにものすごいカタルシスがあると思う。
簡単に言えば、猫大好きな本、ていう話なんだけど、なんかそれ以前に、保坂文体のよさが素晴らしく生かされた一冊だと思う! 猫好きはもちろん、ものうくてよく晴れた90年代東京の日常を訪れてみたい人も、好きになれる話なんじゃないかな。
③『死の棘』島尾敏雄(新潮文庫)
オマエ、マジで難物だったな……笑
島尾敏雄の代表作。これ、知ったときから気になってて、一回読みたいな~と思ってて、古本屋で見つけて買ったまんま本棚でしばらく眠ってたけど、保坂熱がある程度落ち着いてきたとこで「よし、読むか」ってなった。
「おとうさん、夜あんまりおそくなると、おかあさんがきちがいになって、うちを出ていっちゃうよ。ぼうやもマヤとくっついて行っちゃうよ」(p.34)
という世界で、要は何年も隠してた不倫がバレて、頭おかしくなった妻に夫がそれをなじられ続ける、という話。それが600ページ続く!
いや、そういう話だとは知ってたけど、まじで600ページ続いたので、やばかった。
基本的な筋は「なじられる」で、話にも別に終わりはないんだけど、妻を治すために病院連れてったり、田舎に移ってみたり、不倫相手がそっちまで来ちゃったりする。不倫時代の回想とかは一切なくて、入れ子になっているところがない。とにかくいまの視点で、トシオさんが焦ったりわめいたり死のうとしたりする。一本線で時間が流れる。
現代の一般的な結婚観から見れば「オメーが悪いだろ! なに死のうとしてんだよ!」で一発KOだと思うのですが、不倫しちゃって家庭狂わせちゃった人が、ここまでことのありようを(これも)「淡々と」書いたのはあんまりないのかなあ。
読んでいる間はけっこう辛くて、いや、不倫とか奥さんの発狂とかの内容が辛いっていうか、作中の雰囲気の変わり映えのなさが辛くて、「いつこの地獄に変化がもたらされるんだ……」状態が辛かった。
あっ、奥さん快方に向かったかな、と思ったらすぐぶりかえす。ひえ~。まあ、焦りとか罪悪感とかにかられるばっかりで、本質的にほとんど反省というか、つぐなうような姿勢がほぼないトシオさんのせいだと思いますが……
だって、トシオさん、死のうとして首絞めすぎて血痰出した時、
「それ見たことかと勝ちほこったきもちで妻に見せ」(p.322)
るからね。でも、妻ミホ氏は、
ぎくりとした顔つきでていねいにそれを観察し、紙きれでつつきまわしなどしていたが、いきなり笑いだしたかと思うと、「あああ、笑っちゃった。大いばりであたしに寄こしてんの。血痰だと思ったんでしょ。安心しなさい、それは飴ですよ。赤い飴のとけた色。あなたがさっき飴をしゃぶったでしょ」と言い、しばらくおかしさをこらえられぬようだ。(p.322)
飴舐めてなかったと思うけどもうコレなんなん。。笑
もう途中で読むのやめよっかな……とすら思ったくらいだったけど、読破。すごい量の夫婦の闘いがわたしのなかに蓄積されました。
小川洋子の書評集で、この本も取り上げられていて、驚いたのはこの作品の清書を妻のミホさんがやったと書かれていたこと。
まじか?笑
④『小説の自由』保坂和志(中公文庫)
これは滝口悠生さんがどこかで紹介していて、ずっと読みたかったやつ。保坂和志さんの小説論で、「新潮」で連載されていたもの。
新刊書店では『小説、世界の奏でる音楽』はあるんだけど、けっこう厚いので、まずはこっちから入りたくて、毎度おなじみamazonで中古をポチりました。もっと増刷してくれよ。。
もうこういうの読むとふせんの数がやばくなっちゃうんだよな……
書くこと、読むこと、考えること、事実を知ることは、過去にその力を及ぼしうる行為なのではないか。(p.100)
箴言レベルのことがたくさん載っていて、とってもおもしろかった。引用も、冒頭のオリヴィエ・メシアンのインタビューからアウグスティヌスまでかなり幅広い。しかもいっこいっこの引用もけっこうちゃんと長い(保坂の引用を見ていると原書にあたりたくなる、というのはわかる)。
とてもとても、ここで語られていることは、あまりにも多岐にわたっているので、かいつまんで紹介することも難しいんだけど、特徴としては、保坂さんが考えるままに書かれている感じ、全体として「で、何が言いたかったんじゃ」「けっきょくこの回のテーマ終わってないやんけ」ってなっても不思議と不満ではないというか、自然に読んでいける、ということ。(ワシが保坂ファンだから、という訳ではないはず。。)
小説とはまず、作者や主人公の意見を開陳することではなく、視線の運動、感覚の運動を文字によって作り出すことなのだ。(p.73)
とりわけおもしろかったのは、「暗夜行路」を例に、文章としての「わかりやすさ」とか、情景の書き起こし方、読み進め方を書いているところと、ところどころ出てくる、三島由紀夫をこき下ろして文章の研ぎ澄ませ方を論じているところ。笑
主観が入り込み過ぎているとか仰々しいとか、そういうのばっかり文学的だと思われていてうんぬん、とか、個人的には「おっ、いいな~」と思っちゃいました。
ところどころ回りくどくも感じるし、けっこう断定的に述べてきて「えっ?」って感じるところもあったけど、これを使って小説について考えましょうっていう話だと思う。おもしろかった。
⑤『城』カフカ/池内紀訳(白水uブックス)
オマエ、城に着く気あるのかandオマエら、城に着かせる気あるのか?
保坂本を読んでると、たびたび引用されるからカフカ読みたくなってきて、「城」読んだことなかったから手を出した。
測量士として城にやとわれたはずのK。村に着くけど、ぜんぜん城にたどりつけない。
個人的には、先月読んだ小島信夫「馬」にさいきんではかなり強い衝撃を受けていて、保坂本の書かれ方的に、カフカは「馬」とかよりももっとヤベえ作品、小島信夫の不穏さがもっと爆発してるような感じなのかな、と思っていたのだけど。
期待値がすごすぎたせいか、思ったよりも、むしろ安定している、みたいな印象を受けた。
保坂『小説の自由』でも扱われている、Kが下着しか着てないことがわかるシーンとか、電話機に気付くシーンとか、意外なところはもちろん目立つけど、総じて、破綻はしていないんだなーという印象。
ちゃんと筋のある物語だけど、城にはいっこう着けない。城の人物の内情も、実態も、ぜんぜんわからない。そのまわりで、Kやオルガやフリーダがうろうろうろうろする。
たしかに、けっきょく城ってなんだったんだ、ということよりも、出てくる一人一人の登場人物とKとのやりとりがけっこう奇怪でおもしろい。さっきの、Kがパンツしかはいてなかったことがわかるとことかもね。オルガとの話も。
あと、途中で、三人称小説なんだけど、ついつい自分がKの目線になっていることに気付いた。なんか、そうなりません?笑
別訳も読みたいし、カフカ、ほかの作品ももっと読もうかな。
⑥『さようなら、ギャングたち』高橋源一郎(講談社文芸文庫)
「ジョン・レノン対火星人」がけっこう好きだったので、こっちも。高橋源一郎のデビュー作。
詩人の「わたし」、恋人の「ソング・ブック」、猫の「ヘンリー四世」が暮らしていて、ある日、そこに噂のギャングたち4人がやってきて……
すげえなんか、一見破綻してる文章の連続で、その痛快さが心地いい。それがすなわちポストモダンなのかは知りませんが。
短いセンテンスを段落にまとめてスパッスパッて切っていく文体も、読みにリズムが生まれやすくていいなあと思う。さいしょにも書いたけど、飽きっぽい自分としては、見開きに文字がズラアアアアアアーーーってなってると、わりに萎えるので、このくらいやってくれるとかなり読みやすい。特異なスタイルではあると思うけど。
これもたぶん、「城」ってなんだったんだ、というのと同じように、「ギャング」ってなんのことだったの、とはみんなが思うところで、それは解説にも書かれているけど、城よりはずっとわかりやすそう。あさま山荘なあ……
こっちのほうが「ジョン・レノン対火星人」より親しみやすい気がした。高橋源一郎自身は、たしか「デビュー作を書くための超小説教室」かなんかで、こっちは優しい物語になっちゃったけど、「ジョン・レノン~」はかなりよかった、みたいなこと言ってた気がするけど、たぶんそのとおりで、やさしい(=カタルシスがわかりやすい)のが好きな人は「さようなら、ギャングたち」のほうが好みそう。ぼくはこっち派。
あと、ヘンリー四世が酒飲み過ぎてるところが最高。オメー猫だろ。保坂ネコとの違いよ……
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緊急事態宣言、さすがに長すぎて、なんかいろいろ飽きてきましたね……さすがに。
みんなの心と体がすこやかなときにやるのがオリンピックなのでは。
遠出したいなあと思いながらきょうも家の中でネトフリネトフリ。
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