三島由紀夫「銅像との対話ー西郷隆盛」
銅像との対話ー西郷隆盛『産経新聞』昭和43年4月23日付より
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西郷さん。
明治の政治家で、今もなお「さん」付けで呼ばれている人は、
あなた一人です。
その時代に時めいた権力主義者たちは、同時代からは畏敬の目でみられたかもしれないが、後代の人たちから何らなつかしく敬慕されることがありません。
あたは賊として死んだが、すべての日本人は、あなたをもっとも代表的な日本人として見ています。
恥ずかしいことですが、実は私は最後まで、あなたがなぜそんなに人気があり、なぜそんなに偉いのか、よくわからなかったのです。
第一誰にも親しまれているこの銅像すら、私にはどうにもカッコイイものとは見えず、お角力さんにグロテクスなものしか感じない私ですから、
こんな五等身や、非ギリシア的肉体は、どう見ても美しく感じられなかったのです。
これもまた日本人の肉体音痴の一例だろうと、もっぱらボディ・ビルダーの見地から、首をひねっていたわけであります。
私には、あなたの心の美しさの性質がわからなかったのです。
それは私が、人間という観念ばかりにとらわれて、日本人という具体的問題に取り組んでいなかったためだと思われます。
私はあなたの心に、茫漠たる反理性的なものばかりを想像して、それが偉人の条件だと考える日本人一般の世評に、俗臭をかぎつけていたのです。
しかし、あなたの心の美しさが、夜明けの光りのように、私の中ではっきりしてくる時が来ました。
時代というよりも、年齢のせいかもしれません。とはいえそれは、日本人の中にひそむもっとも危険な要素と結びついた美しさです。
この美しさを認めるとき、われわれは否應なしに、ヨーロッパ的知性を否定せざるをえないでしょう。
貴方は涙を知っており、力を知っており、力の空しさを知っており、理想の危うさを知っていました。
それから責任とは何か、人の信にこたえるとは何か、ということを知っていました。
知っていて、行いました。
この銅像を持っている或るユーモラスなものは、あなたの悲劇の巨大を燈明するような気がします。
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三島君。
おいどんはそんな偉物ではごわせん。人並の人間でごわす。敬天愛人は凡人の道でごわす。あんたもそれがわかりかけてきたのではごわせんか?
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