深く、広く、強く、何かを考え続けることはできるのか?
先日、人生における点と点をつなげる話しを少し書きましたが、そのあと、ふと思い出したことがありました。
点と線について高校だかで先生が雑談レベルで教えてくれたことがあって、いわく「点は位置情報を持つが、面積を持たない」「線は長さを持つが、幅を持たない」ということ。
そのときは「ふ~ん」という程度のだったことですが、そんなことを言ってたなぁと思い出したんですね。
ちょっとググってみると、紀元前三世紀ごろに古代エジプトのアレクサンドリアの数学者エウクレイデス(英語読みでユークリッド)氏により体系化された学問で「ユークリッド幾何学」というものがあり、その著書である数学書『原論』の中で以下のように定義されているのですね。
点とは部分を持たないものである。
線とは幅のない長さである。
線の端は点である。
直線とはその上にある点について一様に横たわる線である。
面とは長さと幅のみをもつものである。
面の端は線である。
空間的なイメージで点、線、面をとらえているのが直観的に分かりやすく理解できる気がしますし、なにより、紀元前三世紀ごろに編纂されたとされる『原論』が二十世紀初めまで標準的な数学の教科書のひとつとして使われ続けてきていたということに驚きました。
仏教の開祖であるお釈迦さまは、エウクレイデス氏より少し早く紀元前六世紀~紀元前五世紀あたりに誕生されました。
二十九歳で出家し、三十五歳で悟りを開かれたのち、もちろん現在に至るまで二千五百年あまり、その教えは仏教として伝わり続けています。
エウクレイデス氏にしてもお釈迦さまにしても、あまりにもプリミティブな事柄を探求して、それを体系立ててくださったわけです。
お二方とも、もちろんですが、ある日突然「はっ、点には部分がないのかも?!」とか「生老病死からの解放には煩悩を無くすことが必要だ!」なんてことに突然気がついたわけではありません。
エウクレイデス氏も何年も幾何について考え続けたものを『原論』にまとめたのでしょうし、お釈迦さまだって、二十九歳から三十五歳までの六年間は断食など厳しい修行を行い、その後の瞑想によって悟りを開かれました。
積み重ねること、継続することはとても難しいもので、まさに「点と点をつなげる」ことであり、なにかを成し遂げるためには日々の積み重ねが大切なことを教えてくださっているような気がします。
そういえば、私も設計業務をやっていたときに似たようなことがありました。
といっても、何年間も、というわけではないので、お二方とは比ぶべくもないですが。。。
ひとつの製品の開発プロジェクトが始まると、基本的にそのプロジェクトにかかりきりになります。
ひたすらに求められる性能を満たす回路を設計するわけですが、考えても考えても良い回路ができなくて、頭を抱えてしまうことがあるのですね。
何日もずっと、その回路のことだけを考えて、それこそ頭から煙が出ちゃいそうなことになるわけです。
そうしたときに、ある日突然、夜に寝ているとき夢の中で、すごく性能のいい回路ができたりするのです。
本当ですよ!
それを出勤してから大急ぎで確認してみると、まさに求めている回路がそこにできています。
こんな体験は二十年間の設計業務の中でも片手で数えるくらいしかありませんが、これもやっぱり、ずっと考えて続けていたことが睡眠中に整理されたりして、組み合わさって答えがでてきたのだろうなと思っていました。
最近はそこまで追い込まれていることはないので、そんなに強烈な夢は見てないし、朝はぼんやりしていますが、どうも日々の忙しさにかまけてしまっていて、ひとつのことを考え続けることができていないので、それもちょっと寂しいですね。
エウクレイデス氏やお釈迦さまのように、深く、広く、強く、何かを考え続けられるようになりたいものです。