「豊かな社会」における半農半X
アダム・スミスの国富論にこんな話が出てきます。
「大多数の職業において労働の生産力が十倍」、「すなわち1日分の労働が、それがもともとやっていた仕事の十倍の量を生産できたとしよう」
「他方、ある特定の職業では労働の生産力が二倍にしか増進しなかった。すなわち、1日分の労働が前にやっていた仕事の量の二倍しか生産出来なかった」
「大多数の職業における1日分の労働の生産物を、この特定の職業の1日分の労働の生産物と交換するにあたっては、前者における元の仕事の十倍分は、後者における元の仕事の二倍分しか購買しないことになるであろう」
「したがって後者のある特定量、例えば重量1ポンドの物は前より五倍ほど高価に見えるであろう。けれども、実はこの1ポンドは前の半値になっているはずである。
なるほど、この1ポンドを購買するのに五倍量の他の財貨が必要になったとは言え、それを購買するのにも生産するのにも、わずか半分の労働しか必要としないであろう。それゆえ、この同じ1ポンドの獲得は前よりも二倍だけ容易になっているのである。」
この生産力が十倍になった大多数の職業を二次産業以上のもの、二倍にしかならなかった職業を一次産業のものと考えると、スミスの言っている事はこうです。
1日に生産出来る物が二次産業以上では10個になった、それを同じ労働時間分の生産物と交換しようとすると、今までの十倍の物が買える。
(だから、前には買えなかった電化製品が買える。高度経済成長の結果、前はホウキで掃いて掃除し、薪や炭でゴハンを炊いていたが、電気掃除機や電気炊飯器が買えるようになった、テレビとか冷蔵庫とか電子レンジとかも買えるようになった。)
ところが、第一次産業では1日の労働で出来るものが二倍にしかなっていない。だから、1日の労働で買える農産物やお肉やお魚は前の二倍にしかならない。なんか高いように感じる・・・
でもよく考えてみると、前は1日の労働で買えたお米は1袋だったけど、今は、2袋買える・・・
(だけど、その2袋分でアイリス・オーヤマの安い電子レンジや炊飯器も買えるんだけど・・・)
この話を裏返すと、第二次産業以上で働いていれば、1日分の労働で電子レンジと冷蔵庫が買えるのに、第一次産業で働いていると電子レンジしか買えない、
みんなが電子レンジと冷蔵庫と洗濯機とパソコンを持っていてキレイな洋服を着ているのに、自分は電子レンジと冷蔵庫だけで洋服には手が届かない・・・
になります。
しかし、シュムペーターはこんなことを言っています。マルクスが言うように労働者が窮乏化して革命が起きるんじゃなくて、豊かな社会になって資本主義のエンジンが止まる・・・
(つまり、みんなが電子レンジと冷蔵庫と電気掃除機とテレビとパソコンを持っている社会になると、もう欲しい物がなくなる・・・すると、物を作っても売れないので、新しいビジネスが起きにくくなる)
「半農半X」と言うのは何かと言うと、第二次産業以上の仕事だと、毎日働かないで1週間の半分とか、場合によっては三分の一とか働けば、昔と同じだけの物が手に入る、だから、残りの時間は自分の好きな事をして暮らそう、その好きな事が「農業」だと言う状態なわけです。
まぁ、ケインズは生産性が向上すれば人々は週15時間働けば良くなると述べたそうです。(現実は違うようですが、なぜ違うのかについての考察は、また別の機会に述べることにします。)
2週間予報は、2月末から3月初にかけて最高気温が平年を2-6℃上回る状態になると伝えています。
先週末、ミニハウスの中でトマトが自然発芽しているのを見かけました。そろそろ、ナスやトマト、ピーマンの育苗をしても良いかもしれません。
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