「敵」のメシを食べて、そのうちリベンジはやってもよいか?
捲土重来って言葉があります。
ケンドジューライとか、ケンドチョーライとかと読みます。
捲土は土を巻き上げること、
重来は再度来ること
いったん、負けた人が、反撃にやってくることを言います。
臥薪嘗胆って言葉もあります。
ガシンショータンって読みます。
薪の上に寝たり、苦い肝を舐めたりするような
辛いことを耐え忍んで、そのうち、復讐してやろうって思う事です。
さて、暴をもって暴を打倒する…
暴虐な紂王を倒して、周王朝を作った武王のやり方に
伯夷は賛成できず、
周が提供する穀物を食べず、山菜を自分で採って暮らそうとしますが、結局、餓死します。
この件について、史記は善人が不幸になり、悪人が幸福になるような事がある、天の道は正しいのか、間違っているのか(天道、是か非か)と述べているわけです。
しかし、伯夷は、とりあえず、もらった穀物を食べて生きながらえ、彼の「平和主義」を世の中に宣伝する道はなかったのでしょうか?
ロシア革命を指導したレーニンは革命運動について、妥協は絶対にいけないと言うのは子どもじみた考え方だと述べています。
一般化して言うと、自分が理想とする状態がある、しかし、世の中はその理想とは違う、
そういう時に、いきなり理想を実現しようと思わず、とりあえず、世の中と妥協する、
そして、時間をかけて理想の実現を目指すと言う発想です。
中国共産党の毛沢東は「持久戦」と言う事を述べています。
「敵が進んできたら、自分は退く」(戦略的後退)
「敵が立ち止まったら、自分も立ち止まる」(戦略的対峙)
「敵が後退したら、自分は進む」(戦略的反攻)
凶暴強大な敵とは正面から戦わない、
そういう敵が向かってきたら、とりあえず、逃げる…
そのうち、敵の出足が止まるようになってきたら、
こちらも立ち止まって様子をみる…
やがて、敵の勢いが衰えて後退するようになってきたら、
反撃を開始する…
そういう事を述べているわけです。
これも一般化して言うと、自分の「理想」があるとしても
その「理想」に反対する人が多い時は、
とりあえず、その「理想」についてはあまり主張しない
そのうち、世の中の風向きが変わってきたら、ちょっとづつ主張する、
更にその「理想」に反対する方がおかしいと言われるような状態になったら、ドンドン主張する…
なにか、風見鶏のようで「勇気がない」ように思う人もいるかもしれません。
しかし、自分の「理想」を主張するだけで実現できないまま終わるよりも、時間がかかってもその「理想」が達成できるなら、そちらの方がよいとも言えます。
毛沢東は、子ども時代「水滸伝」を愛読していたそうです。
また、アメリカ人ジャーナリストのエドガー・スノーに「老子」を引用して語ったそうです。
「史記」は読んでいたかどうか分かりませんが、
伯夷の物語を読んだらどう思ったでしょうか?
自分が反対だと思う人達、自分の「理想」とは真逆な事をしている組織から「ご飯(お金やモノ)」をもらう事は絶対にいけないのか
それとも、とりあえず、そのご飯はありがたく頂いて食べることにする、
そうやって、妥協して様子見をして、「風見鶏」を続ける…
敵のご飯を食べて捲土重来を期すと言うのは、けっこう理想実現に役立つ考えなのです。