中立的な説明は、活動を促進する他
先日、近くの畑がある農家の人が、僕が草取りをしているところにやってきて、畑の前の部分、刈払機で刈ろうかと声をかけてきてくれました。
僕は、その際、実際に草を一つ一つ示しながら説明しました。「これはイヌムギと言って、もうじき枯れて倒伏する。すると倒伏した部分の地面を覆って他の草が生えるのを防ぐから刈らない方がいい。」
「これは背が高くなる地下茎タイプの草で、昨年、ここで刈払機を使ったが、地下茎が生き残っているのでまた生えてきた。
他の草は地上部を刈られればなくなるが、地下茎タイプの草はまた芽吹く事ができるので刈払機を使えば使うほど、こういう草が増えてくる」
そう言いながら、地下茎タイプの背が高くなる草を引き抜いてみせました。
件の農家の方は、他の草・・・やはり背が高くなっている一年草っぽい草を引き抜こうとしましたが、僕は、「それは種類が違うから抜かない方がいいです」と伝えました。
その農家の方は、納得した上で、今日は、自分の畑の草を刈ると言うので、僕は、「大変ですね、お疲れ様です」と声を掛けて終わりました。
同じ見沼の中でも有機栽培や自然農法、無化学肥料栽培に取り組む人もいますが、化学肥料や農薬を使う「近代農法」の人もいるわけです。
僕は両者と普通に付き合っています。
どちらが正しい、どちらが間違っている的な事は言わない、ただ、自分のやり方はこうだと言うだけです。
それから「自分のやり方」にしても、上記のように「なぜ、ここで刈払機を使わないか」と言う理由を、その場所に生えている雑草の種類や生態の説明をすることによって述べるようにしているわけです。
このやり方が正しいと言う言い方はしていません。
「中立的な」言い方をしているわけです。
ちょっと記憶が曖昧ですが、1年ぐらい前にVOAの「アメリカで仏教チャプレンの活動が広がっている」と言う報告を見ました。
キリスト教チャプレンが「ゴッドワード(聖書の言葉)」に頼りがちなのに対して、仏教チャプレンは中立的で包括的な言い方をするので、無神論者やイスラム教徒にも受け入れられているのだそうです。
僕は子どもの時、ソドムとゴモラの人たちが悪いことばかりしているので神様がそれを滅ぼすとおっしゃられた聖書のお話について、こういう説明を聞いた事があります。
アブラハムはソドムとゴモラにも正しい人はいるかもしれない、正しい人も悪い人も一緒に滅ぼすのですか?
と神様に言います。
神様は正しい人が50人いたら滅ぼさないと仰せになりました。
するとアブラハムは50人に5人足りなかったら滅ぼすのですか?と聞きました。
神様は45人いたら滅ぼさないと仰せになり、アブラハムは40人しかいないかもしれないと言うと、
神様は40人いたら滅ぼさないと仰せになり・・・
結局、アブラハムは正しい人が10人いたら滅ぼさないと神様相手の「ディスカウント」に成功します。
しかし、結局、正しい人はロトとその家族だけで、街は滅ぼされてしまいます。
このお話は、ひどい社会でも「正しい人」が少数でもいれば、救われる、しかし、一人だけでは何もできない
と言う意味だと説明を受けたのでした。
僕は、「そういう話なら聞いてもいいや」と思い、そういう風に読むんなら聖書とかも意味があると思って読めると思いました。
実は、この説明は、やはり「中立的」、つまり、キリスト教を信じていない人でも理解できる神話の意味に関する解説になっています。
僕は最近仏教の勉強もしているのですが、大念処経に「怒りの心がある時、怒りの心があると知り、怒りを離れた心がある時、怒りを離れた心があると知り、貪りの心がある時、貪りの心があると知り、貪りを離れた心がある時、貪りを離れた心があると知り・・・」
と言うくだりがあるのを読みました。
このくだりが面白いと思ったのは、「怒りの心」や「貪りの心」を悪いと言っていない、それから「怒り」の原因を作った人についていいとも悪いとも言っていない、「中立的」言い方になっている点です。
もちろん、怒りの原因を作った人が他にいて、その原因が確かに問題な事である場合、その原因に対して、笑って済ませると言うわけにはいかない、原因を作った人に対しては、きちんと「怒り」を示す必要があるかもしれません。
ただ、自分自身が「怒り」や「貪り」の心がある状態なのか、「怒りを離れた心」、「貪りを離れた心」の状態なのか?
自分を客観的に見つめる事は大切です。
自分の心の状態を理解した上で行動する事は、「正当な怒り」を示す場合にもむしろ効果的なのではないかと思います。
感情のままに怒りをぶつけるのではなく、論理的に相手に自分が怒っている理由を伝える事ができるからです。
農業に限りませんが、自分の活動が「正しい」と言う主張は、自分と同じ考えの人には伝わるかもしれませんが、自分とは異なった考えの人には受け入れられません。
論理的に中立的に伝える事は、自分の活動を様々な人達に受け入れてもらい、活動に広がりを持たせる上で必要な事だと思います。
台風の接近に伴う雨が降り、最高気温は前日より低くなりました。
この先は、6/7–6/11は 雨が降る日となります。
最高気温は29℃にまでなることがあるようです。
6/12–14 雨が降らない日となり、最高気温は28℃-29℃で推移するとの事です。
29℃と言えば、平年値より4℃高の水準です。
6/15–16 雨が降る日となり、最高気温は25℃-26℃との事です。
高温化した状態で、雨が降るとやや気温が低くなる、そういう風に6月が過ぎていくのでしょう。
ゴーヤとスイカの芽が出てほしいです。