泰平モード40年で生まれた「紅色一代男」
井原西鶴・紅色一代男(1684刊)に「塵塚よりなた豆と言う物、いと笑しく生りさがりたる垣根」と言う表現が出てきます。
ゴミ捨て場からナタ豆が自然発芽して、垣根にツルを絡ませている様子を描写しています。
畑で雑草や野菜屑を積んでおいた場所からトマトや白菜が自然発芽してくるのはよくある話です。
ところで島原の乱の終結が1638年、寛永の大飢饉が1640年-1643年にかけてです。この後、幕府は土民仕置条々を出して、農民への過酷な収奪を緩和するとともに生産の督励をしました。
戦国モードの農民政策から泰平モードへの転換とも言われています。
泰平モードになってから40年程度で、「紅色一代男」のような文学が書かれるようになったわけです。
第二次大戦で焼け野原になった日本ですが、40年後の1980年代は高度経済成長からバブル期に向かう真っ盛りでした。
ユーミンの「恋人はサンタクロース」が映画館で流れていました。
あの時からまた約40年が経過しています。日本は平和であり続けてほしいと思います。
昨日の記事で取り上げた新潟県阿賀野市の「耕畜連携事業」なのですが、新潟日報の記事には、同市の堆肥センターの写真が掲載されていました。
同市のウェブサイトにある統計データには、市内の農家数や農業経営体についてのデータはありましたが、畜産についてのデータがありませんでした。
同市産の堆肥とは、同市の堆肥センターで作られたと言う意味で、市内の畜産農家から算出された家畜ふんを使ったと言う意味ではないのでしょうか?
それから堆肥センターの年間生産量は、どの程度なのでしょうか?
年間1500トンを市で買い上げると記事に書かれていましたが、それで幾らぐらいの費用がかかるのでしょうか?
その財源はなんでしょうか?
そうした事を調べて、他の自治体でも実施可能か、同種の事業を普及させるとしたら国が果たすべき役割はなにかなどを考察していきたいと思います。
2週間予報は、2/26-3/2にかけて平年より2-4℃高い最高気温が維持される見込みを伝えています。
そろそろナスやトマト、ピーマンの育苗を考えたいと思います。