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災害の歴史 No.4~1958.9.26~ 狩野川台風

こちらの記事は、災害防止研究所公式サイトにて連載しております、過去ブログの内容です。最新記事は、下記リンクからお読みいただけます。バックナンバーは、マガジンにもまとめておりますので、是非ご覧ください。

1 概要

昭和33年(1958年)9月2日夜伊豆半島東岸を北上して三浦半島に上陸した台風22号は、伊豆半島中部に豪雨を降らせ、狩野川を氾濫させて伊豆地方に大水害をもたらした。 http://www.bousai.go.jp/kaigirep/houkokusho/hukkousesaku/saigaitaiou/output_html_1/case195801.html

2 特徴

(1) 被害概要

ア 全国

   ・死者・行方不明   :1,269名

   ・住家の全半壊・流出:16,743戸

イ 静岡県


   ・被害の大部分は伊豆半島、特に西部に集中した。

   ・天城山系一帯では、約1200カ所の山腹、渓岸崩壊が発生した。

3 教訓の反映

・砂防施設の強化

・放水路の整備(1965年に狩野川放水路が完成)

・橋脚なしの橋梁建設

・1961年に宅地造成等規制法制定  崖崩れや土砂災害等が特に懸念されている区域内での宅地造成工事について、災害防止のために必要な規制を行うことを目的とした法律。都道府県知事が規制区域を指定。

4 陸上自衛隊の教育

昭和58年頃、私が陸上自衛隊富士学校に入校していた時、災害派遣教育で、狩野川台風は水害災害派遣の事例として取り上げられていて、現地に行って教育を受けました。

水災害は季節的には夏の酷暑時が多く、災害派遣に出た隊員は、水に浸かって活動するため疲労度が非常に大きい、休む(腰を下ろす)場所もない、トイレの場所がない。飲み水に困るので水筒を2つ以上持たせることが必要、胸まで泥水に浸かって捜索するのでゴム長が必要。

被災者の前で水筒の水を飲むこともはばかられるので、被災地から離れた目につかない場所に移動して飲食、休憩できる場所を確保することが必要、着替え等の補給支援が不可欠。遺体捜索にスコップを使うと遺体に触れた感触が分からずに遺体を傷つけてしまうので、細い棒を泥に突き立てて捜索するのがよいなど、さまざまな経験と教訓を教えられました。

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