ぷよぷよは食べられません
朝のあのキャラは上手いなって読んでいて思った。親の死を受容して、そこから改めて自分を見てみたときの「こんな境遇なんだからもっと自分に深みが出てもいいはず」という、イラつきを惹起させてくる度し難い浅はかさに笑ってしまった。でもそういう、自分自身に対して「自分にはこれこれこういう悲劇苦難があったのだから自分はもっと良いもののはず!」という、根拠不明の漠然とした確信を持つことって結構あるもんだとも思う。何かしらのしんどい思いをしたのだから、それに相応しい対価があってしかるべきだろう、といったような感じなのだろうか。ただ、あいにくとそんなものひとつで変わるほど世界は薄っぺらくない。ので、そのあとの周囲の人との関わりや衝突、そこで思索を重ねて朝が成長していく様がとても良い漫画でもあるなと思いましたよ。
なお実写映画はその辺の機微が大体無いです。本当に大体無い。淡く濃厚な積み重ねもなく端的で安直なゴールにたどり着く。つくづく、漫画と映画は速度が違うメディアなのだなと痛感した。
日記を続けられている時点で全く飽き性ではないのでは、と、五月の途中からほとんど書かれていないマイブックを持つ僕はそう思うわけです。ご存知ですか、マイブック。新潮社が毎年出している、一ページずつ日付だけ振ってある白紙の文庫本。筑摩書房からも同じようなものが出ている。幾度目かの挑戦で今年は比較的進んでいたからいけるか?!と思っていたけれど、全然でした。
そうそう、ご所望のペンは注文出したので、諸々のブツと共にお送りします。国際便初めて出すから勝手が何ひとつわからない。国内なら隙間が空いたらそこにお菓子でも放り込んで緩衝材兼差し入れなどといった真似ができるのだけど、それやっていいんだろうか。気圧差で袋はじけ飛びそう。検疫的にも怪しそう。
さて日記らしいことを書こう、ということで今週は職場の飲み会に行ってきました。この春から入った新しい職場の歓迎会と暑気払いを兼ねたもの。きっと何一つ楽しいことはないだろうという予感していたのだけど、残念ながらそれはしっかり的中した。普段は陰で罵倒し倒している上長に対して、ここぞとばかりに無礼講を働く同僚たちの姿を見て、なんともまぁなんとも、帰りたいなと思いながら空疎な笑いを合わせていた。ご飯が美味しかったらまだ救いはあったのだけれど、金額の割にはとても今一つだった。雑な飲み放題が売りのお店なだけはある。
その飲み会の中で、「普段休みの日は何をしているのか」ということを訊かれた。馬鹿正直に言うのなら「本を売っています」なのだけれどそれは多くの説明を伴う営為であって、言葉を尽くしたところで容易く誤解を招きやすいものなので、まあ正味めんどいしあんま言いたくない。そして酒の場ではそんな煩雑なものは求められていない。
とはいえ何も返さない訳にもいかないなァ、等と答えあぐねていたら別の先輩が「なんか料理めっちゃしてますよ彼」と言ってくれた。日ごろともにそういう会話をしている先輩なのだ。それだ、と思いながらスマホを開いてお見せしたのが昨日の私の晩御飯。
これひとつお見せしたら、その場にいた全員が「なるほどこいつは大したものだ」と納得してくれた。なんて楽なのだこれはありがたい、と思うと同時に、これ多分僕が独身男性だからこういうリアクションなのであって、例えば同年代の女性が同じことをして質問の回答となるのかと言えば、もしかしたら微妙なのかもしれないな、と思うとちょっと気分が沈んだ。あと女性的だねとも言われた。ちょろすぎんか。
縦書きと横書きでは、恐らく「思考の筋肉」みたいなところが全然違うところを使っていると思う。もう一つ言えば、活字と漫画でも全然違う。昔知り合いだった大学の先生は漫画が全く読めないと言っていた。あれは別に漫画を蔑如するとかではなくて、多分本当に「読み方がわからなかった」のだろうなと思っている。漫画ってそれなりに発達した思考の筋肉使わないとなかなか読めない代物なのだろうと、ここ最近ひしと感じている。
ということで、そのうち縦書きの本と漫画をいくつか送ります。