memento mori
自己顕示欲、出そうと思った時が出し時であると思うので、いつだって出していきましょう。
爆誕日おめでとう。
自前でスイーツ持ってく風習は、なるほど良い感じに合理的だなと思った。どうしても少しひけらかすきらいが出てしまう行事を、自ら手ずから何かしらを持ってきて皆にふるまうことでなんだかトントンな感じになる。でっかい抹茶ティラミス、最高でしかない。いつかその風習、真似したい。
常識の確立、つまるところ新しいスタンダードの発見、クリエイティビティの発露は、多分僕の最も不得手とする分野だと思う。苦手ですわ。
今あることを履修することは、言ってしまうとだいぶと得意だと思う。既存のものを整理して組み合わせて、そこから何かを捻出する行為とか。自分が本を書くではなく本を売る方を選んでいるのも、多分そこにある。あれも言ってしまうと組み合わせの話なので。
でもその論理で行けば、ティラミスやラテと抹茶を組み合わせるのも、そういう素質を持った人間によるものと言えるのか?それもまた常識の確立か。そっち方面ならいけそうです先生。
今自分の中にある常識、思考の癖、視座の持ち方を学ばせてもらった人がいた。とは言っても当時はあまりそういう意識をしておらず、ただひたすらにめんどくせぇしこえぇしおっかねぇ人だという印象だった。それだけの人ではないことを薄ボンヤリと感じつつも、経験の浅い当時の自分にはひとつ先に行くことができないまま、離れざるを得ないことになった。そこからしばらく経ってようやく久々にお会いした時に、予想だにしないほどに朗らかに迎えてくれたことを今でも覚えている。その時にもいろいろと話をして、当時を想起して、その上で改めて自分の今を咀嚼してみたときに、あの頃教えてもらったことの意味を痛感した。ああ、こういうことを言っていたんだなって。その人の業績からしたらほんの些末で初歩な話で、それこそ呼吸する程に当たり前なことが僕は出来ていなくって、だからこそいちいち怒られていたのだな、そりゃあ怒られるわ、ということを今更ながらに理解した。つもりになっている。あくまでつもりでしかないが。
そんな人が先日亡くなった。やっぱ人は死ぬんだね。当たり前だけど。当たり前なんだが。特に根拠もなんもないんだけど、そのうちまたどっかで会うような気がしていた。それにひとつ仕事が残っていることは聞いていてその完成も心待ちにしていたのだけど、残念ながらそれを誰かに手渡すことすら叶わない状態のままで逝ってしまったようで、その成就は永遠に見られなくなってしまった。本当に残念だ。
やれることはやれるときにやっとかなきゃあ終わってしまうし、会いたい人には会える時に会っておかないと次はないのかもしれない。極めて陳腐でありきたりだけど、そういうもんなんだ。
そういうことで、今は結構なんでもやってやれって気持ちになっている。全然キャパシティオーバーしてるのだけど既に。でもやれると考えてやろうと思ったときにやらないと、あっという間に何もかもが終わってしまう。
ということで着々と同人誌二発目が完成に向かっている。