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私が真面目系クズになってしまった理由

私は真面目系クズだ。

ずっとそうだったかと言われると、たぶん違うと思う。
なんなら小学生くらいの頃は優秀と言われる部類の人間だった。

そんな私がなぜ真面目系クズになってしまったのか。
今回はそのきっかけになったであろう出来事を深掘りしていきたい。



遡ること二十数年前。
私は幼稚園生の頃に一生忘れることのできない傷を負うことになる。

ある日、幼稚園でひな祭りの紙工作をすることになり、私はせっせとのりで色んな紙を貼り付けていた。
そんな中、2枚の紙が微妙にズレてくっついているのを見つけた。
私は誰かが間違えて貼り付けてしまったのだろうと思い、一生懸命剥がした。
しかし、それを見つけた幼稚園の先生が烈火のごとく怒りだしたのだ。
その2枚のくっついた紙はお雛様の襟部分を作るために先生が事前に用意してくれていたパーツであり、剥がさずそのまま使うためのものだった。

先生から怒られたショック。
間違ったことをしてしまったという自分自身への失望感。
先生の頑張りを無にしてしまったという申し訳なさ。

色んな感情がごちゃまぜになった当時の私は翌日、登園拒否をした。

そして幼稚園生なりに頑張って考えた結果、階段下の納戸に隠れるという手段にでてみたが、大騒ぎになりかけたので仕方なく納戸から出た。
当然、なぜそんなことをしたのか親から聞かれるわけだが、私は間違ったことをして怒られたことが恥ずかしくて何も言えなかったことを覚えている。

(つい最近、母親に話す機会があったためこのことを話したが、母親は当然そんなことになっていたなんて知らなかったので驚いていた。)

上記の一連の出来事は、私が何事にも真剣に取り組むタイプであったからこそ起こってしまったことだろう。
やる気のない人は真剣にやらず、綺麗な仕上がりじゃなくても怒られない。
やる気があって変な気の使い方をした方が怒られる。

私はこの時に初めて真面目に取り組むことの無意味さを知った。

真剣にやろうとした結果、察さなくていいことを察し、やらなくていいことをやってしまったことで怒られてしまった。

やる前に先生に聞けよというのは、まず突っ込まれる部分だと思うが、たくさんの子供を大人2人くらいで見ているわけだから、当時の私には聞くタイミングが見つけられなかった。
手のかからない私みたいな園児は放置されがちなのも相まって、やらかしてから見つかってしまった。

そして後日、親に話すこともできず、先生と話すこともなく、この件に関して誰からも触れられることなく、1人で一連の出来事を受け止めた私は以下のような結論に至った。

真剣にやらずに、なあなあにやってた方が怒られないやん。

きっとこんな結論にたどり着く必要はなかったし、歪んでるとも思う。
しかし、幼い私が一生引きずるトラウマとしては十分なインパクトを持った出来事であった。

これが私が真面目系クズになった原点だ。

当然、これはきっかけであって今の私を形作った話は他にもあるわけだが、長くなるので今回はこの辺で切り上げたいと思う。


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