私が海外に来た理由 vol.1
なぜ海外に来たのかと考えてみると,思い当たる理由がいくつかある。今回は子どもの頃の記憶を振り返ってみる。
父の仕事の都合で,バンクーバー(カナダ)とウィーン(オーストリア)それぞれ一年ずつ過ごす機会があった。この出来事は振り返っても特別な時間で,いずれも私が海外を意識したきっかけであるとはっきり言える。
幼少期のあいまいな記憶の中で
バンクーバーにあるUBC付属幼稚園に通っていたのは5歳の時だったけれど,それなりに記憶があり楽しく過ごしていたのは覚えている。
ピアノも習ってたし(先生が厳しかった記憶しかない),プール教室にも通っていた。
教室では英語が全く分からなくて一人好き放題していたけれど,副担任の先生が付きっきりで面倒を見てくれていた。
クラスメイトの誕生日会にも何度か誘われたし、ハロウィンには大好きだった白雪姫の仮装をしてお菓子をもらったこともよく覚えている。
昔から,長時間じっとしていることが苦手だった私にとっては,カナダでは暮らしの中での何か特別な自由を感じていたのだと思う。
両親の大変さ(想像しかできないけど)とは対象的に,私の中では楽しかった記憶しか残っていなくて,その後しばらくは「海外って楽しいところ」だと楽観的に捉えていた。
当時は周囲に似たような状況の人がほとんどいなかったので,何か自分は特別なステータスを持っているかのように調子に乗っていただけなのかもしれない。これが後に自分を苦しめたこともあったが,それもすべて経験だと思う。
初めてのヨーロッパへ
時は過ぎ小学4年生の頃だった。音楽の都ウィーンに家族で1年間住むことになった。
後から知った授業料等に目から鱗だったけど,両親が帰国後のことを最優先に考え,学びのギャップが極力出ないようにウィーン日本人学校へ編入させてくれた。
この一年間,私の人生の中で唯一"私学"に通うことになった。そして,初めて"転校生"にもなった。
編入したのは2学期が始まってから。ウィーン日本人は小等部と中等部が同じ建物で学び,過ごしていた。
私の学年は児童の数が他と比べて多く,クラスの中でも小さなグループが出来るような感じだった。
特に仲良かった3人組とは,毎日のように卓球をホールでやっていた。
竹馬や一輪車でもよく遊んだ。大雪の日には雪合戦して,喧嘩になったこともあった。
中等部と合同でやった運動会の組体操では,姉とともに三段タワーの一番上に選んでもらえた。
日本の伝統的な文化を地元の人に知ってもらうためのイベントが年に何度か開催され,御神楽を習って披露する機会もあった。
もともと御神楽は興味なかったけれど,年子の姉がANAホテルで開催された日本人会のイベントで踊っているのを見て,翌年から私もクラブに入って練習した。
やってしまったと後悔しているのは,社会見学として,楽友教会へ"ウィーンフィルニューイヤーコンサート"のリハーサルを見に行く機会があった時。
当時音楽にあまり興味がなく,それがとても有名なものと知らなかった私は友達とお喋りして注意される始末。その反省から,今は欠かさず毎年テレビで見るようにしている。
その他にも,学芸会,林間学校,スキー教室,向井千秋さんの講演会,全て挙げるときりがないけれど,どれも私にとって特別なイベントだった。
日常会話に焦点を当てたドイツ語も学校で習って,すぐさま帰りのスーパーでカウンターのハムやパンをオーダーしたり。外国語が通じる喜びもそこで実感した。
これはあくまで期間限定だったから楽しめたのかもしれない。だけど,そんな経験を与えてくれた両親には感謝しかない。
同窓会:強く特別な繋がり
ウィーンに滞在したのは1年間だったけれど,そこで出会った友達とは20年以上経っても連絡を取り続けている。
帰国当初は数ヶ月ごとにやり取りする手紙(その当時現地に居た友達とは国際郵便)が唯一の連絡手段だった。
中学に入ったころには電子メール(当時はPC)になり,高校に入ると携帯で連絡を取り合うようになった。
そして大学入ってからはSNSで気軽に近況を知ることができるようになった。
首都圏に住んでいる友人が多いので,出張とかで行く機会があると僅かな時間でも食事したりお茶したり。
今も数年に一度の同窓会にもなるべく参加している。
滞在期間が重なっていた人も,そうでない人も関係なく仲良くなれる不思議なコミュニティ。私にとっては特別。
これもまた,海外が特別な場所と思う理由なのかもしれない。
チャンスを逃した後悔と決意
父はその後も2度ウィーンに半年ずつ滞在する機会があった。2回目は大学受験の年だったのでさすがに行けなかった。
そして,3回目は私がD2の時の春学期だった。その時は妹も社会人だったし,子に手がかからないからと母がウィーンについていった。
私もあわよくば半年間留学したいと思ったけれど,それは許されなかった。その代わり夏休み長めにとらせてもらって,両親のもとへ遊びに行くのが限界だった。
ある時ポロリと,「本当はウィーンに半年間行きたかった」と母に伝えたら,「休学して何かしたかったのならどれだけでも協力したのに,なぜ言わなかったの?」と言われて大号泣した。
なぜ両親に相談しなかったのだろう。これは人生で一番の後悔かもしれない。未だにその言葉を思い出すだけで涙が出る。
そのことがあったから,絶対にチャンスを逃さないようアンテナを張るようになった。もう二度と同じ後悔をしたくなかったから。
そして今感じること
私にとって海外は自由を与えてくれるところ。
今思うとさすがに当時は何も知らなくて,ただ幻想を抱いてただけかもしれないけれど,少なくとも今私にとって特別な場所であることには変わりはない。
そして,当時私たちが楽しく生活できた裏で,両親がいかに大変だったかを知った。そして改めて感謝の気持ちがわく。
全ての人にとって良いかどうかは分からないけれど,一度自分が後悔した経験があったからこそ,海外に行って挑戦したいと思う人は応援したいし,誰しもがチャンスが得られるように願ってやまない。
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