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"けなげ"に寄り添う!

"自然良能" とは読んで字のごとく、自然によくなる能力を言う。
"自然に"は、手を加えないということ?
"自然"は、人工ではないということ?
"自然"とは、山や川、草木、海など人が生まれ、生活してる場所のこと?
あれこれとりとめなく思いは広がる。"自然良能"を生き方でみたならば、「楽観的」というのも自然良能ではあるまいか。ヒトは時に"脳天気"であったほうがいい!自然良能そのものを紐解いてみたい。

例えば大型肉食獣全盛の時代、無力で徒手のヒト類はどんなに怯えて暮らしていたことだろう。きょろきょろあたりを見渡して目立たないように、生き延びてきたに違いない。危機を避けるこのきょろきょろは好奇心に結び付く。やがて立ち上がり、二本足で歩き、首や手を自由に開放した。と同時にとどまることのない脳の発達をも、うながした。

"きょろきょろしたい"と"きょろきょろできる"は結びついている。"したい"と思わなければ"できる"は生まれない。海にすむ魚が陸へ上陸したいと思ったところから何世紀もかけて鰓呼吸が肺呼吸へと変わっていった。永〜い年月をかけて、自然の持つ大きな力に導かれて人は様々な力を身に宿していく。この身に宿した力こそが自然良能なのだ。

自然良能は本当にけなげで働き者!暴飲暴食しても何とか消化しようと働くし、睡眠のリズムが壊されても何とか折り合いをつけようとしてくれる。脳が命ずる様々な欲望に対して、内なる自然良能はけなげに働いてくれて、日々戦い続ける。ある日、バタッと倒れることはあっても、自然良能は死ぬまで枯渇することはない。母なる海、母なる大地があたえてくれた力には計り知れないものがある。

手を加えないということは、ほったらかすのではなく見守るということ。早急さを求めず、じっと待つことだ。それも寄り添って待つことだ。
「快食 快眠 快便」自然良能に寄り添うにはこれに尽きる。鹿児島の医者には「それはそうだけど....]と言葉を濁されてしまったが(笑)
もう一つ付け加えたいのが「快動」動物は動くものだから、動く、動かす。こころもからだも心情も動かして調和をとる。調和のとれた状態は自然良能をもっともっとけなげにする。寄り添って待てば果報は向こうからやってくる。「鎮まれ 鎮まれ」と、時には脳に呼びかけたい!冒頭のイラストの意味するところは此処(笑)

具体的方法 ・浪打の音を聞きながらいのちの誕生に思いをはせる瞑想
      ・誰でもできる簡単な体操(快動として)
二つをアップ準備中

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