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「バラの恩返し」 いただいた優しさの種を蒔いて、社会の片隅を耕したいから

私を救ってくれた日本の〈おせっかい〉が、支援活動の原点

私自身、過去には日本の方々の〈おせっかい〉に救われました。母とともに公園で2週間、ホームレス生活をしていた時、親切に声をかけてくださった学校の給食のおばちゃん。ひもじくてスーパーの試食コーナーを何度も回っていた私に、袋いっぱいの食べ物をくれたお店の人。その方々がいらっしゃらなかったら、今の私はないんですよね。

だから、昔の日本では普通だったそんな〈おせっかい〉を復活させて、再び広げていきたい。それが一番大きな、無限で無償の支援だと思っているので。人は〈おせっかい〉をした分だけ、自分の愛が貯金されていきます。

何か支援をしたいと思っている人は、まず自分にできることや、やりたいことを見つけてみてはどうでしょうか。たとえばご飯を作って、同じマンションに住んでいる人たちに配る。近所に外国籍の人がいたら、わからない日本語を教えてあげる。今は日本の子たちだって、なかなか勉強を教えてもらえる機会がなかったり、親が家にいなかったりしますから。

今後の私にできることは、何かアクションを起こしたいけれど方法が見つからない人や、次世代の若い人たちに、私が失敗してきたことや、なかなか達成できずにいる姿も含めて、恥ずかしがらずにそのままお見せすること。そこから皆さんが参考にしてヒントになることも、あるかもしれない。だからあえて、素直に自然体でいたいと思うんです。

もう一つは、私が橋渡しになって、問題を抱えている当事者の方々と、支援をしたい方々が出会える場を増やしていくこと。いくら言葉で語っても、当事者と会ってみなければわからないことが山ほどあります。私がその懸け橋になることで、人の輪をつなげていきたい。

もしかしたら、そこで自分の生き方を見いだせる人もいるかもしれません。むしろ〈誰かを支援する〉ためというよりも、支援する人が自身と向き合えるきっかけになればと願っています。


優しさへの近道は、まず自分が幸せになること

これまでさへる畑が参加してきた「難民・移民フェス」は、私自身も恥じることなく、何度も帰ってきたい場所の一つ。参加する人たちが、お互いに「ただいま」「おかえり」と言い合える大切な場所ですし、何よりも、責任を持って屋台を出す皆さんに愛があふれているんですよ。

初めてフェスに足を運んだお客さんが、「来てみたらすごく楽しいじゃん!」。歌ったり踊ったり、楽器を演奏したり、いろんな国の家庭料理を食べたり。この日だけは笑って、時には泣きながら「優しくしてくれてありがとう」とおっしゃってくださる人もいて。

宗教や国籍の違いも、〈在留資格〉の有無も関係ない。みんな一人ひとり、人間として尊重されている素晴らしい場所。私たちもその場で一緒に参加できることを、本当にうれしく思います。

〈難民・移民〉という話になると、どうしてもいろいろな感情を持つ人もいます。今の社会では、人間関係、仕事、学校、家庭……みんな大変な思いをしながら生きている。心のゆとりや生活に余裕がないために、こういった問題と直面した時、未来に対する不安がよぎって他者との間に〈壁〉をつくってしまうのかもしれません。心が弱っていると、無意識に「いない方がいい」と、相手の存在を消してしまう。

確かに今、世界各国で多くの難民・移民を受け入れて、もうあふれ返っていて、「自分たちだけでも生活が大変なのに、もう無理だよ、満杯だよ!」という状況になっていますよね。そこで「他の国がやっていないから、こっちもやる必要はない」と言うよりも、逆に「世界がやれないことでも、日本ならできる」と。

そう思えるようになるには、日本の人たちがまず幸せでいてくれることが大切で、自分たちの国にどれほど素晴らしい価値があるかを再認識していただきたいんです。日本は世界でも稀に見る安全な所だし、来日する人々も「ここだったら自分たちは受け入れてもらえるんじゃないか」と、そういう日本の良さに切実な希望を託しているのですから。

働ける環境が整えば、彼らはむしろ自分にできることを全力でやりたいと願っている人たち。その「場所づくり」をすることで、実はあなたの隣りに友人になれる方々が必ずいるはずです。

ですから、どうかあなたの周りに今いる人——民族、宗教、肌の色の違いにかかわらず——手を握ってみてください。抱きしめてみてください。みんな温かいし、心臓は同じように動いているし、相手も同じ人であることを感じられると思います。家族や生きる場所を求めているのは、日本の皆さんと一緒。私たちは敵ではなく、味方です。友だちにも、隣人にも、家族にもなれます。


“怖いイラン”ではなく〈優しいペルシャ〉を感じてほしい

イランというと、ペルシャ絨毯のイメージを持たれることが多いのですが、実際にはかなりの高級品なので、そこで止まっちゃうんですよね。確かに、そう簡単に買える物ではありません。そうではなく、もっと身近なところで、例えばアクセサリーを身に着けたり、家庭料理を作ってみて食べたり、伝統的な装飾品を家の中に置いてみたり。そうすると、「これはペルシャのものだ」と、肌身で感じていただくことができる。“怖いイラン”という先入観ではなく、「それでもイランには、素晴らしい文化があるし、美しいものを愛する人々がいる国なんだ。じゃあ、もうちょっとイランに興味を持ってみようか」と感じてもらえたらいいなと思って。

そんなイランの、《ペルシャの風》を吹かせたい。日本の方々にそれを伝えることが、今の私にできること。長い歴史を持つペルシャ文化の美しさや優しさ。その穏やかな風を感じてもらって、そこからもっとイランに興味を持って、“怖い国”という印象を変えてくれればと願っています。そうすれば、何らかの理由で日本に逃げてこられる方々も、ちゃんと受けてもらえたり、孤立せずに身内として受け入れてもらえたりするんじゃないかなと。私の母国のことを皆さんに知っていただくためにも、今回のタイトルを《ペルシャの風》にしました。

国家の行いは、嫌でも国民が背負っていくことになる。その罪も、国民が永遠に背負わされていく——何の罪もない国民が。その有り様を、外から「大変だね」と傍観するだけなのは、やはり違うと思うんです。たくさんの自由を享受している私は——日本の人々もそう——外国へ自由に行けるのですから、自らできる限り外に出て、行動する。

当然ながら、そうすることが難しい人たちも大勢いらっしゃるので、ちゃんと彼らの声をくみ取って取り残さないことが、私の今後の大切な目標です。今回は多くの方々に、ペルシャの物を家に持ち帰っていただきました。ぜひ、《ペルシャの風》を感じた感想などもお聞かせいただけたら、とてもうれしいです。


初めて誰かに「同胞」と言われた喜び

私も出演させていただいた映画『マイスモールランド』の冒頭で、クルド式の結婚式が開かれるシーンがあります。その撮影を通して、クルド人の出演者と出会った時に感じたのは、「自分の国がない」ために、クルドの人々がどこにいても居場所がなく、孤独で、コミュニティーそのものさえ孤立してしまっていること。

でも、孤立させたのは社会であって、無関心という世界中の問題。問題を放置している世界の人々が、おそらく同罪だと思うんです。その中で、やはり彼らも人を信じられなくなってきている。

それでも、結婚式のシーンに登場することで、自分たちの生活がちゃんとフィーチャーされていることへの喜び、あるいは自分たちがちゃんと「この地球上に等しく生きている人である」ことを知ってもらえる喜びが、あったのではないでしょうか。

“国を持たない最大の民族”と一口にいっても、クルド人はイランやイラク、トルコ、シリアなど、中東各地に拡散していますから、住んでいる地域(クルディスタン=クルド人が居住する土地)によって、踊り方が全く違うし、民族衣装も少しずつ変わってくるし、やはりそれぞれ異なった習慣を持っているんです。

出演されたクルドの方々とお話ししてみると、最初は意外とすごくシャイなんですよ。シャイなんだな、なかなか心を開いてくれないな……と。でも、「君は本当にクルドの人にそっくりだね」と言われたことがあって。実は初めて誰かに「同胞っぽいね」と言われたのが、クルドの方だったから、「ああ、私もクルド人なのかな?」って。純粋にうれしかった。


人は「一緒」だと思えるから、温かくなれる

私はイラン出身ですし、最初はどうしても、彼らとの“壁”のようなものがあって。イランという国家が置かれている現在の状態は、どうしても世界から対立・分断させられていく一方なんです。国家だけではなく、国民までもが。ロシアとウクライナの問題でもそう。まさに今の、イスラエルとパレスチナの人々にとっても。

「イラン」という国籍を持つだけで、相手に対して非常に肩身が狭いというか、どこかで言葉に詰まる。でも、私たちが意識している以上に、クルドの方々はその痛みを長年味わってきたからこそ、そこで心ない言葉を投げつけるのではなくて、私たちに対してすごく温かい。そのことに、私はとても救われたんですよね。

すごく面白かったのが、キュウリの切り方は一緒だったこと!(笑)ペルシャ料理では、あまりまな板を使わないんです。キュウリやトマトなどの野菜は、たいてい手の上で切るんですが、映画の中で主人公のサーリャちゃんがキュウリを切るシーンの撮影でも、手のひらに載せていたから「ああ、そっちもそうなんだ、一緒じゃん」って。

だから、人はその「一緒じゃん」という感覚が大切なんですよね。「相手と違う」と思うから距離が開いてしまうけれど、日本人と私たちも、必ずどんな人も一緒の部分がたくさんある。一緒(いっしょ)のことを、一生(いっしょう)見つけられたら楽しいよね。たぶん、それが「一生の友」……ダジャレ(笑)。


※本インタビューは、2023年11月4日に実施されました。
 動画版は、2024年11月以降にご覧いただけます。

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