西陣で絣(かすり)織りをされている工房を訪れた。
西陣(にしじん)
京都上京区にある学区のひとつで、ざくっとその周辺も含んだ地域。その歴史は応仁の乱(1467年―1477年)に京都を主戦場とした戦争で、西軍の本陣が置かれたことがその名の由来とされている。
*学区とは、学校単位に設けた(通学)区域。京都は学区の活動が多いかと思う。(例:区民運動会)
今、僕が住んでいる太秦に引っ越しをする前は、その西陣と二条城の間に住んでいたこともあったり、むしろ太秦と西陣との縁(ページ末に後述)も非常に深いこともあって今の方がいろいろ興味もある。
そして、今回は友人が声を上げた企画「まちなか美術工芸部」に参加したので備忘録としてまとめておく。訪れた工房「いとへんuniverse」は正確に言うと西陣にはない、工房というよりもプロモーション活動をされている拠点のようだ。
丁寧な防染技術と計算されたズレから生まれる。
その「いとへんuniverse」にて取り組まれているのは、「絣(かすり)」という織り技法で、京都に限らず沖縄(芭蕉布とか)など、全国各地や海外にもその織りは伝承されている。
先染め(前もって染め分けた糸)で作られた経糸、緯糸、またはその両方で織り上げられ、「絣」の名の由来にもあるズレを文様に設けられているのが特徴。モアレと呼ばれる視覚的な錯覚で生じる縞模様や、ぼかしのような淡い表現のようでもあるが、一本一本の糸に綿密な計算をして染を施し、その糸が織り込まれていることで生まれる繊細な表現は、「絣」独特のものだと思われる。
括り(くくり)を再現した状態(体験させていただいた♪)
括り(くくり)
友禅などの手描きによる染色ではないので、先染めとして糸を染める際に防染(ぼうせん)を行うのだが、それを「括り(くくり)」と呼ぶ。糸に複数の色があると、その色数分の染工程が行われる。
短時間のレクチャーではあったが、確かに高度な技術だということがわかる。西陣には絣に携わる工房が最盛期(戦後の昭和ぐらいだろうか)には130軒ほどあったとされるが、今は7軒ほど、ほとんどが高齢者の従事者ということもあって技術の伝承が課題であると聞いた。昭和の最盛期がイレギュラー(バブル)と考えても、今は農耕作業の合間で行っていた時代や環境ではない、技術を伝承するには仕事を作ることが重要になっていく。
いろいろある「織」、玉繭から生まれた「紬」
今日に限らず、人の歴史を振り返っても身の回りには多くの布・繊維製品が用いられている。その布を作り上げる道具に「機(はた)」と呼ばれるものがあるが、その技術は多岐に渡る。京都市北区にて「錦織(にしきおり)」を研究されている「光峯錦織工房」もその一つで、過去に工房を訪れたこともある。
(余談:自動車メーカーとして有名なTOYOTAも豊田自動織機という会社から生まれている)
世にある布は、天然繊維だと木綿・麻・絹による製品が多いかと思うが、絣で使用する糸は絹糸(シルク)が多いようで、絹は蚕から作り出されるが、その繭(まゆ)に「玉繭(たままゆ)」と呼ばれるものがある。
繭を作る際に二匹以上の蚕がひとつの繭を作っている状態で、通常は全体の3%程度で起こるとされ、イレギュラー(意図的に複数にある種もあるとも聞いたかな?)とみなされている。複数の蚕で作られた繭は糸が複雑に絡み合っており一本のキレイな生糸を抜き出せないないため、一旦、繭を崩して真綿(まわた)の状態にしてから糸を繰り出し、撚り(ヨリ)をかけて糸を作る。そのため絹のボリュームが一定にならず節が生じており、その糸で織ったものを「紬(つむぎ)」と呼ばれている。
真綿の「綿(わた)」は木綿(コットン)だけを指すと思っていたけど違う!
歴史を紐解くと、京都で作られるものは朝廷や公家への献上品を作ることが多かったため、光沢がある生糸で作られる製品が一級とされてきた常識があった。玉繭はその工程から弾かれた材料であったが、庶民によって利活用の機会を得て育まれていったとされる。今ではむしろその節が布地のテクスチャーとしての趣を生んでいるようである。
玉繭の節のある経糸
ちなみに、織機は経糸の上げ下げで緯糸を通すタイミングを変えて様々な文様を織りだす仕組みである。紋紙(パンチカード)で作られたオンオフの信号を織機に伝えて複雑な織りを作れるようにしたのがジャガードという装置。今日、紋紙はデジタル化されておりドット絵としてデータを作れるならジャガード織機で作ることができる。
僕は赤穂緞通に関わることもある。緞通(だんつう)は平織りの延長にある技術だろう。経糸緯糸に交差させたところに、絨毯の厚みとして立ち上がる糸をひとめひとめ結んていくのだけれど、織機のシルエットはだいだい何処も似ている。
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「いとへんuniverse」で絣工房の見学をした後、京都国立博物館(京博)を訪れたのだけれど、布で作られた展示品を非常にじっくり観察することに繋がった。(博物館の展示品は絣に限らずさまざまな高度な技術が使われている♪)
冒頭写真は「太子間道(たいしかんとう)」と呼ばれる柄です。京博に「関道」の織物もいろいろありました。ボーダー柄を指すようですが、バーバリーのようなチェック柄などもあるようです。冒頭の太子間道は木目調ですねー。
太子は「聖徳太子」を指しているんですが、今僕が住んでいる太秦には「蚕ノ社(かいこのやしろ)」と呼ばれる神社があって、繊維産業の云われに大きく関わっていることもあって、いろいろ妄想が膨らむ。
僕のnoteは自分自身の備忘録としての側面が強いですが、もしも誰かの役にたって、そのアクションの一つとしてサポートがあるなら、ただただ感謝です。