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茶花(ちゃばな)の座学にお誘いいただいたので、軽く寄ってみると思いのほか深い。

友人が主宰している茶室「池半」にて、茶花(ちゃばな)の座学があるんだけれど、どうですか?ってお誘いがあった。少し前に煎茶道具を調べる機会があって、お茶を飲んだり、茶道や茶席の所作などとは別で、その歴史を紐解くと、日本における茶文化の成り立ちがとても興味深いものだと思っていたこともあったので、お誘いをいただいたということだろうか、久しぶりに池半にてお茶もいただけるということでもあるので、即答で参加することにした。(冒頭写真は講座の後、池半にて開催されていた茶筍上洛/古代茶会でいただいたお茶)

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杉謙太郎 花の講座 「茶花」

茶席に飾られた茶の花とはいかなるものか、文献から読み解く歴史講座。

杉 謙太郎 プロフィール
花道家 1975年福岡県生れ。18歳より花の道へ。原田耕三に師事。花人・岡田幸三から弟子の原田耕三へと受け継がれた「いけばな」を根幹に、独自の活動を進める。現在、花会を通してその精神を広めている。

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杉 謙太郎さんのことも、茶花のこともほとんど知識もないので、冒頭から質問してみると、茶花と生け花は似て非なるものであろうか、大きな括りとしては花をいける行為を生け花として、その中に茶花があると認識してもらったら良いですよとのことだった。

朝10時から始まり、12時を少し過ぎたところで、予定の時間が終わる。およそ2時間ほどの座学を受ける形であったが、講座の内容が想定以上に興味深く、のめり込んでお話を聞いたこともあってか、もう2時間経ったのか、という印象で終わった。その後話を伺うといつもは4時間ぐらい行いますとのこと。確かに物足りない! 次回同じ様な講座があれば是非とも参加したい。お誘いいただきありがとうー。

…そして、茶道にも抹茶と煎茶があるが、そんな棲み分けにも通じているのだろうかと思って、花道家と華道家は何が違うのか、その時は深く掘り下げなかった。後から講座を振り返ってみると「守破離」という言葉も出てきたので、茶道の分類のように華道に対するものなのかと思っていたんだけれど、華道が流派などの形を重んじているのに対して、花道はもっと広い枠組みとして捉えた方が良い様に思われる。花道の中に華道があるのだろうと今は思っている。

以下、講座のメモ書きです。


花名:ササユリ(笹百合・ヤマユリ)

古名:サイ(狭韋・狭井・さゐ)
古事記においては「山由理草」と表記

王子形の水瓶に5枚ほどの葉を残した一輪のササユリをいけられた。仕上げの「水うち」で、ありありとさせることで急にリアルになる。龍の絵に目を入れる画竜点睛のごとしであった。(水うちを行う霧吹き器が妙にカッコよかったわ)

ちなみに、「お稽古」とは、古いこと、昔のことを知り、考えると言われた。なるほど。

狭井坐大神荒魂神社(さいにいますおおみわのあらみたまじんじゃ)と呼ばれ、大神神社(おおみやじんじゃ)の摂社。神武天皇(初代天皇)の皇后である媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)を祭神としている。その狭井神社の少し北に細い小川があって、狭井川(狭井河)とも呼ばれ、万葉集でも詠まれる。この周辺にササユリは群生していたのだろうか。

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
そして、ササユリは百合にも通じている。

花名:不明

亜字型華瓶に、常緑樹の枝先、赤い新芽が数本伸びている状態をいけられた。いわゆる「花」はそこに存在せず、葉つきとしていけられたもの。
落葉樹と比べると常緑樹は神木として格が高いとされている。数年前に開いたであろう葉の枝先に昨日今日開いたばかりの赤い新芽に時間の流れやその期間を重ねたもの。(慰み)

「定まれる匂い」という言葉があり、「にほふ」の「に」は丹とされ、丹(に)は赤の意味を持つ、大雨で山肌が崩れて、赤土が見える様子など、「におう」は今で言う「映える」に通じる。

花名:松の老木

手のひらに収まる程度の小さな薬壺に少し頭が出る程度に老木を木つき(こつき)としていけられた。水をうつと老木に水が染み込み色が変わって、これまで認識できていなかかった苔が現れた。ちょっとびっくりしたわ。

老木は、はげ木、曝木(しゃれき・しゃれぼく)とも呼ばれる。落雷などで立ち姿で枯れてしまったのであろうか。土に触れて腐っていくのではなく、風雨にさらされることで流木のような表情を保っている。

漆塗りの敷板に薬壺におくと、格式が上がるように艶のある黒が「場」に緊張感を与える。部屋にある香炉に「沈香」を焚かれる。

花名:甘草(かんぞう)

円柱の陶器に野甘草をいけられた。少し先が傷んだ葉と若い葉、そして開き切った花とその奥に、数本の蕾。

千利休の口伝秘事を書き留めた「南方録」に「小座敷の花は、かならず一色を一枝か二枝、かろくいけたるがよし。勿論、花によりてふわふわといけたるもよけれど、本意は景気をのみ好む心いや也。四畳半にも成りては、花により二色もゆるすべしとぞ」とある。

二畳ほどの小さな空間では、1種類の花材を、偉ぶることのない様にいけるのが良い。景気には「景色や情景のおもしろさ」の意があり、そのような人の目線(世情)や作為を好まないということなんだろうか。

花名:なでしこ

口(首)が欠け落ちた平瓶(古墳時代の器:素焼きの焼き物)に、そっと差し込むように撫子の花と葉を数本いけられた。『池坊専応口伝』の一節「破甕に古枝を拾ひ立て」とある。


茶花(ちゃばな) の文脈として

金春禅鳳(こんぱるぜんほうは、世阿弥の娘婿(金春禅竹)の孫である。「侘び茶」の創始者と言われる村田珠光とも交流があったであろうか。そして、村田珠光の孫弟子にあたる武野紹鴎(たけのじょうおう) が「侘び茶」をさらに洗練させ、紹鴎の弟子である千利休が完成させていく。

時代背景としては、足利義満(室町幕府3代将軍)が室町時代の鹿苑寺(金閣)を建立するなど、煌びやかな北山文化の最盛期を築いた後、その孫の時代、足利義政(室町幕府8代将軍)には、相次ぐ戦乱から将軍の権力基盤は脆弱であったことも影響し、その余波として、守護大名の対立はやがて応仁の乱を引き起こした。これらのカウンターカルチャーであろうか、能、茶道、華道など多様な芸術が開いた東山文化が生まれ、祖父の時代の北山文化に対して、幽玄、わび・さび といった美意識を重んじているともされる。

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