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わたし、実々みたいに「そこにいるだけでかわいい」存在ってワケじゃないから。
自他共栄
を、とてもとっても意識している。
そのことを強く意識するようになったのは、3.11の実家の人々の行動だった。福島との県境に近い北茨城の海沿いで旅館を営む生家は、津波をかぶり大きく被災した。当時、道路は自衛隊はじめ「公」の車両しか走れず、わたしが被災現場と化した実家に行くことができたのは、3.11から1週間も経ってからのことだった。
おしゃべりなわたしが言葉を失った。なにも言えなかった。母が骨折してたけれど、みんな無事で命があった。そのことを喜びたいのに、被害が大きかった地域を思うとそれも憚られた。
冷凍庫にあった大トロや常陸牛がダメになっちゃうから、みんなに配って食べたのよ。焼きおにぎりも近所に配って喜ばれたし。水も出ないから、しばらくビールを飲んでたわ、あははは。
あはははは、って。
こっちは連絡も取れず血尿出るくらい心配してたのに。大トロって、常陸牛って、ビール飲んでただとぉー!!!
あははははー。
父も母も姉たちも、さすが過ぎて大笑いした。みんな大変すぎておかしくなっちゃったのかなと思ったけど、そうじゃなかった。まわりに分けてた、配ってた。困ったときはお互いさまを、絵に描いたみたいにやっていた。
そういう人たちだった。
いまはもう誰もあの時のことを言わない。
+
そんなことがあってからだと思う。
わたし、出かける時はコーヒーの入ったタンブラーを2つ用意する。自分ともうひとりの「誰か」のために。
おにぎりも2人分。もしくは、もっと。
葛の蔓も「誰か」のためにたくさん採る。
自分ができること、知ってることは出し惜しみせずに、できることをできる限りやる。それは自分との約束。
誰かが誰かを思ってすること。バトンを渡し続けていくこと。落としたバトンは誰かが拾ってくれればいいし。おにぎりはいつだって冷凍庫にたくさん入れておくこと。おいしいものは誰かと一緒に食べると、さらにおいしいから。
ぐるぐる。
ぐるぐるぐるる。
まぁるく回っていくといいな。