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5割で「まぁ、よし!」と言えるようになりたい

どうやら自分にはいろいろな呪縛がかかっているらしい、と気付き始めた。
最近読んだ本や、うろうろしたSNSや、病気の発症やらを経由して、「なんだかいろいろな思い込みに支配されているようだぞ・・・」と。

ぐるぐる考えるだけでは、ますます渦の中に巻き込まれるだけなので、自分の外に出して忘れたい、上書きしてしまいたい。
思い込み、退散! さよなら、思い込み!

<ほめられた記憶が、あまりない。>

自己肯定感、自尊心。そうね、低いです。鶏たまご。自分の気質か、環境か。ここまで来ればもう原因はどちらでもよいのですが。
鮮明な記憶は小学校入学したての頃だろうか。「テスト」ってやつがある。算数やら、漢字やら。クラスメイトの「お母さんにテストの結果をほめられた」という話を聞いて、「へぇ。テストの結果とは、親に褒めてもらえるものなんだ。いいこと聞いた」。
自慢じゃないけどその頃から素直、従順。言葉を額面通りに受け取るタイプ。早速実践です。

私「お母さん、テスト95点だったよ!」

返答がそれなりにショックだったのか、科目を覚えていない。
白い答案の右上に書かれた、二重下線のついた「95」の赤い数字は鮮明な画像として記憶に焼き付いているので、横書きの科目(国語以外)だったはず。

母「あら、一問間違えたの?学校のテストは教えてもらった問題しか出ないんだから、普通は100点なのよ?」

あれ?おかしいな。クラスのあの子は85点で褒められたと言ってたけどな・・・。

母「よそはよそ、うちはうち」

がーん。

今ならわかりますよ「よそはよそ」。
説得/説明が面倒になった親の使う伝家の宝刀。
しかし当時の私は「お母さん>神様、お母さん>仏さま」。
何なら「お母さん>お父さん、お母さん>学校の先生」。
お母さんのいうことは絶対!

果たして、学校のテストは「間違えてはいけないもの、恥ずかしいもの」になったし、期末/学年末のいわゆる「成績表」以外の結果(親の押印が必要なもの)以外は、親に見せなくなった。

別に「だから全部満点取ってました」ってことではない。
ほとんどの場合、当然満点ではなく、
その都度「私は教わったことも答えられない、ダメな人間なんだ」という澱のようなものが時間をかけて積もり続けた。

私の世代では、たいていの場合、この「きちんとやったら満点」は、大学入試が終わった時点で有効期限が切れる。

そこからの切り替えが、うまく行かないまま今に至っている、たぶん。

程度を自分でコントロールする
「50点に届けば、まぁいいんじゃない」とか、
自分基準を設定する
「ゾロ目の美学。94点ならむしろ88点。いや77点、いっそ33点」とか、
フィールドを選ぶ
「あ、その科目、興味ないんでテスト受けません」とか、
「テスト? 何ですかそれ?食べられるんですか?」とか。

いまなら頭ではわかる気がするんだけどなぁ。
「目の前のことにまともに対応できない間は、つべこべ言うな」と言われる環境に長く居すぎてマヒしてたんだろうな。

自分にぐるぐる巻きついている呪縛を、気長に一本ずつ解きほぐす。

おやすみなさい。


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