カフェ・オ・レが冷める前に
視界の端にコーヒーメーカーが映った。熱いブラックコーヒーが喉を通る感覚を思い浮かべる。一仕事終えた体には最適だろう。しかしながら、首から下の汗が酷く鬱陶しい。「とりあえず着替えを済ませてからにしよう」そう思い作業服を脱ぎ払っていると、カツリカツリと特徴的な音が聞こえた。耳を澄まさずとも分かった。カジウラの足音だ。
「おつかれさん。仕事には慣れたか?」
「あっ、ヒムラさん。お疲れ様です。まあ、それなりに、ですかね」
「ちょっとキツイですけど」カジウラはそう零しながら、右肩をぐるりと一周させ、左手首を三百六十度回転させた。
カジウラは全身を機械化している。事故で肉体の大部分を失い、マトモに残ったのは頭部だけ。百余年前の医療技術であれば再起不能の状態だったらしい。カジウラはナイーブな男だ。だから詳しい話は聞いていない。俺の横でズケズケと質問責めにしたヤツらほど、俺は無神経な人間ではない。誰にでも聞かれたくないことはある。大体、今時サイボーグなんて珍しいものではない。現に、俺だって頭部をサイボーグ化している。ここにいる他の奴らにしてもそうだ。身体のどこかしらを機械によって補助している者がほとんどだ。しかし、新人であることを差し引いても、全身に機械化を施しているカジウラはヤツらからすれば興味の対象らしかった。それでも、道楽で頭部だけをサイボーグ化している俺のような人間にこそ突っ込んでほしくない話題であることは明白だった。だから俺は何も言わないまま、彼と数日仕事を共にしている。
コーヒーメーカーがコポコポと小気味の良い音を立てる。カジウラは仕事を終えるといつもコーヒーを淹れる。どうやら彼のルーティーンらしい。カップを満たした黒々と光るコーヒーを塗りつぶすように、たっぷりのパウダーミルクを入れる。粉っぽいカフェ・オ・レは、あまり美味そうには見えない。彼の好物……なのだろうか。そういうには余りにもお粗末なものに感じたが、俺は敢えて何も言わなかった。
カジウラは俺の対面に腰掛けると、唇にカップを寄せてカフェ・オ・レを啜った。
「ヒムラさんも飲みます?」
俺の視線に気付いたのだろう。彼は気を遣ってか、俺に声をかけた。
「そうだな」
俺の返事を聞いて立ち上がろうとしたカジウラに左の掌を向けて、コーヒーメーカーの方へと体を向けた。
カジウラは気を遣いすぎるところがある。好意を無下にするようで心苦しい部分もないわけではないが、それよりも彼には肩の力を抜いてほしいと、そう思えばこそだ。それに、コーヒーを淹れるのを忘れていたのは俺なのだから、自分の手でやるのが道理だろう。
ブラックコーヒーを片手にカジウラの元へ帰ると、彼はもうカフェ・オ・レを飲み干した様子だった。
俺は元の位置に座り直し、コーヒーに口を付けた。
「ヒムラさんは、僕のこと、何も聞かないですよね」
カジウラは唐突に言った。
「……ああ、特に興味はないからな」
「それはさすがにひどくないですか?」
冗談めかした声色で、カジウラは言った。カジウラの声は最新式のスピーカーから発せられているとは思えない、か細いものだ。しかし、決して暗い声音というわけではない。カジウラはどういうわけか俺に懐いている。俺と話すときだけ、彼の声は少しだけ明るくなる。
「お前の過去には興味がないって意味だよ」
どうやら語弊があったらしいので、考えうる最も率直な表現で訂正をする。
「ヒムラさんは相変わらず口下手ですね」
「お前も大概だろう」
「僕はあえて話さないだけです。ヒムラさんは言葉足らずなんですよ。そっちの方が、よっぽど口下手ですよ」
「……まあ、一理あるな」
「そうでしょう? ほら、ヒムラさんを言い負かせましたし。これで証明できましたね」
フフンと、勝ち誇ったようにカジウラは顎をあげる。頸部のチューブが、ちらりと覗いた。
カジウラには少々子供っぽいところがある。普段は隠しているつもりなんだろうが、彼の仕草や口ぶりに、それが見え隠れしている。今も自慢げな格好のまま、俺の返答を待っている。
彼の期待に応えられるだけの言葉を持ち合わせていなかった俺は、会話の始まったきっかけに話を戻すことにした。
「それで、なんだったか。お前は俺に何か聞いてほしいのか?」
放置されていたカジウラが切り出した話題を引っ張り上げると、彼は少し黙った後、口を開いた。
「ヒムラさん、僕が機械化している理由、知ってますよね?」
「…………」
彼の問いに沈黙で応える。
「まあ……そうですよね。皆さん、いろいろと聞いてきましたから」
再び沈黙し、彼の言葉を待つ。
「僕が事故にあったのは聞いてましたよね。それで全身こんな感じなわけなんですけど。最近になってようやく受け入れられてきたんです。いろいろやってみて分かったこともありましたし、それに、この体だからできることもたくさんありますから」
「そうだな」
「はい。なんですけど、時々考えちゃうんです。これは僕の本当の体なのかって」
カジウラはそう言いながら右の手首をくるくると回転させる。
「そういうものなんだな」
我ながら素っ気ない返し方だと思う。だが、カジウラの言葉を待つにはこれが最適だと思った。
「ああ、そうだ。ヒムラさん、コーヒーはいつもブラックですよね」
「そうだな」
「カフェオレは飲まないんですか?」
言われて、彼の手元の、粉が沈んだカップを見やる。
「ああ、そうですよね。ここのカフェ・オ・レ、粉っぽいですから」
どうやら粉っぽさは彼も承知の上だったらしい。それにしてもあの山になったパウダーミルクは適量を超えているとは思うが。
「本当は純正のミルクをたくさん入れるのが好きなんですけど……って当たり前ですよね。でも、アレ、高いですから。こういうところじゃなかなか有りつけなくて」
乾いた笑い混じりに、カジウラは言った。
「昔は熱々のカフェ・オ・レが好きでよく飲んでたんです。だから今でもカフェオレを飲むときは、温度設定はずっと『熱い』のままにしてるんですけど––––––––」
カジウラは少しだけ言い澱む。
「それでも癖っていうか、体に染み付いた習慣って言うんですかね。冷めないのが分かってても一気に飲んじゃうんです」
「ああ、体に染み付いたって言うのはちょっとヘンかもしれないですね。今は機械の体なんで」
自嘲気味に、カジウラは笑った。
しばし沈黙が続いた。カジウラは俯き加減で、左の手首を右に一周、また逆に一周と、回転させ続けている。手持ち無沙汰、と言うよりは、俺の言葉を待っているのだろう。俺はというと、どう話を切り出そうか決めあぐねていた。適当な言葉が見つからなかった。気不味いわけではなかったが、この沈黙をそのままにしておくのは、どうにもすっきりしなかった。
都合のいい言い方が見つからなかった俺は、結局一番簡潔な言葉を使うことにした。
「俺に何か聞きたいことがあるんだろう?」
カジウラは自分の手元に向けていた視線を俺の顔へと戻した。
「はい」
「お前の昔話を聞いたんだ。俺も昔話くらいはしてやってもいい」
カジウラは少しばかり目線を下げた後、口を開いた。
「えっと、ヒムラさんは、そういうことってありますか……? その……ヒムラさんも機械化をされてるので……」
「どうだろうな」
カジウラは黙ったまま、時折掌でまだ熱が残っているであろうカップを転がしつつ、俺の言葉の続きを待つ。
「少し言いにくいんだがな、カジウラ」
「はい」
カップを弄んでいた手を止め、俺に向き直る。
「そんなに改まらなくてもいい。さっきも言ったが、これはただの俺の昔話。独り言みたいなもんだ」
俺の言葉で、カジウラは少しだけ脱力する。それを認めて、俺は話を続けることにした。
「俺はな、カジウラ。金の為に自分の顔を売ったんだ。ただ、自分の趣味に使う金の為にな」
「……あの、聞いていいのか分からないですけど、その、趣味っていうのは……?」
「本当に聞きたいか?」
態とらしく芝居がかった口調で言うと、カジウラは口を噤んだ。
「冗談だよ。俺も言うのは恥ずかしいからな」
少しだけ、嘘をついた。別に自分の趣味くらい教えてしまってもよかったが、話の本筋には関係が無い。わざわざ皆まで言うのはカジウラを子供扱いしているようで憚られた。だから、彼を強張らせてしまった責任を自分で取った。それだけのことだ。
「俺の顔が欲しいだなんて酔狂な輩がいてな。何の為なのかは知らんが、目の前に大金を積まれた。俺は丁度金が欲しかった。だから取引に応じた」
カジウラの目は、少しばかりの驚きを見せつつも、その奥に好奇心を覗かせていた。
「もしかしたらどこかで悪用されているのかもな」
カジウラの好奇心に応えるように、再び話に少しばかり嘘を混ぜる。実際に俺の顔がどういう使われ方をしているのかは知っている。ただ、この昔話はあらすじだけで十分だ。幼子に読み聞かせているわけではないのだから。
「こんなところだな。まあ、お前の参考になるような話は持ち合わせていないってことだ。すまないな」
「いえ、そんな。ありがとうございます」
カジウラは律儀に頭を下げつつ礼を言った。何かを言わなければいけない気がしたが、言葉に詰まる。カジウラの言う通り、やはり俺は口下手なのだろう。
「ヒムラさん、たまにそうしてますよね?」
「何がだ?」
「えっと、さっきみたいに、耳……じゃなくて、頭の横、掻いてるの、よく見ます」
先程まで俺が無意識にしていたであろう動作を真似つつ、カジウラは言う。
「ああ、これか。……そうだな。自分じゃ気付いてなかったが、多分癖だろうな」
「癖?」
「これも昔話なんだが、ピアスがあったんだよ。丁度この辺りに」
言いつつ、今度は自覚を持って側頭部を掻く。
「多分その頃の名残なんだろうな。今は無いのに、ついやってしまう」
自分の口から出た言葉で気付かされる。金の為に顔を売ったなんて与太話よりも、こちらを話すべきだった。自覚がなかったのだから仕方がないとは言え、自分の愚かさに気恥ずかしさを覚えた。それを誤魔化すように、コーヒーに口を付ける。カップから立ち上る湯気は、とうの昔に消え去っていたが、コーヒーは注がれたときから変わらない温度で口内に流れ込む。
「あ、コーヒー淹れ直します?」
カジウラが気を利かせて、俺に声をかけつつ立ち上がる。
「いや––––––」
「いい」と言いかけてやめた。ほとんど残っていたブラックコーヒーを喉に流し込み
「カフェ・オ・レをくれるか?」
と返事をした。
「いいんですか? カフェ・オ・レ、粉っぽいですよ?」
「構わない。今は飲みたい気分なんだ」
「分かりました。それじゃあ、ちょっと待っててくださいね」
カジウラは銀色の瞼を細めながらそう言うと、コーヒーメーカーの方へと駆け出していった。
カジウラは岐路に立っているのだろう。機械の肉体をそのまま受け入れるのか、それともかつての肉体を懐かしみながら暮らしていくのか、そういう選択肢を目の前にしているのだと思う。俺はどちらでも構わない。これは決して無関心によるものではない。おそらくは、彼の中で答えはもう決まっている。いや、むしろ新しい道を既に歩き始めていると言った方が正しいだろう。彼はそれに気が付いていないだけなのだ。
カジウラと話していて気付いたことがある。癖、或いは習慣。彼には新しいそれが馴染みつつある。機械の体だからこそできるそれは、彼の無意識に刻まれ続けている。コーヒーが注がれるカップを待つ背中越しに、カジウラが手首を回しているのが見える。俺はそれをただ眺めていた。
「お待たせしました」
軽快な足取りで、カジウラが戻ってくる。右手には二つのカップ、左手にはパウダーミルクの容器が握られている。
「ミルク、どうしますか?」
俺の対面に腰掛けつつ、カジウラが言う。
「任せる」
カジウラはにこりと笑みを浮かべて、コーヒーの黒をパウダーミルクの白で埋め尽くした。
「どうぞ」
差し出されたカップにマドラーを突っ込み、ぐるぐるとかき混ぜる。
粉っぽいカフェ・オ・レ。湯気が立ち上るそれは、何故だかいつもよりも美味そうに見えた。
カップを手にし、カジウラを見る。カジウラはカップをもたげてカフェ・オ・レを流し込んでいる。
俺は口内の最適化をオフにして、一気に飲み干した。
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