創る楽しみと、完成する楽しみ
作り手における創作の楽しみ方は、大まかに分けて2つに分類できると考えられる。
一つは「創ることを楽しむ創作」。
こちらはキャラクター、シナリオ、世界観を作り上げることを楽しむ創作である。今瞬間を楽しむタイプの人種であり、創る際に妄想を膨らませること、作っている今瞬間が楽しくて仕方ない人種だ。イメージとしてはお人形遊びが近いだろう。
基本的に趣味で創作をやっている人種はこちらに分類されるだろう。なりきりの類もこちらに分類される。
このタイプの良いところは敷居の低さと、確実に「楽しい」が続くことが挙げられる。楽しめればオッケーなので、細かいことは気にしない。当たり前じゃないか。娯楽なんだもの。敷居の低さは新たな風を生みやすく、何が起こるかわからない。冒険みたいなものだ。
そして何より作ることを楽しむうちにキャラクターに愛着が湧くので、自身のキャラに愛情を注ぐ「うちの子文化」の人がとても多い。私が今までみたのだと、自キャラのエロール(R18的な要素が絡むロール)を妄想するものもあった。
短所としては、作ることを楽しむ人種なので、過去を振り返る…即ち創作物を見返すことへのハードルが高いことだ。このタイプの創作は見返すことを前提としていないので、見返すと恥ずかしい想いをしたり、みっともない想いをしたり…ということも少なくない。
基本的にこのタイプの人種は思い出作りをしたいのが、思い出をそこまで振り返らない傾向にある。実際、筆者もこのタイプの創作をしたことがあるが、見直したことは両手で数えるぐらいしかない。
例え話であるが、Twitterでなりきりアカウントを運営している人間が、そのつぶやきを見直して思い出に浸るだろうか?いやしない。そのなりきりのつぶやきを創作している今その瞬間が「楽しい」のである。
もう一つは「完成品を作り上げることを楽しみとする創作」である。
こちらは良い作品にする為にはどうすれば良いか…をひたすらに切り詰め、キャラクターやストーリーが既に完成品を作り上げることを目的とする人種である。イメージとしてはゲームソフトが近いだろう。
この創作というのは基本的に、創作が辛い人種である。完成品を作るということには「自分の作品を商業商品のようにパッケージしたい!」ということをモチベーションにしていることもあるが、どちらかと言えば、完成品を世に解き放ったときに得られる「評価」に快感を覚える人が多い。言わばアスリートタイプだ。
このタイプの人種は複数人で創作をすると大体トラブルを引き起こす。身内でやろうならもっての外だ。筆者もどちらかと言えばこのタイプなのだが、それに近しいタイプの友人も、口を揃えて「身内で創作なんてやるモノじゃないよ」と言う。完成度を高めるという行為は捜索においてはストレスになる行為である為、複数人で行おうモノなら、トラブルは不可避である。
この人種の特徴としては、自身のキャラクターへの愛情に乏しいという特徴がある。筆者もこのタイプなので、自身が生み出すキャラクターにそんなに愛着が湧いたことがない為、キャラクター愛の深いうちの子文化の人を見ると、損した気分になりがちである。また、基本的には完成品としての出来を良くしてから公開するので、読み返すことを前提とした作りになっている場合が多い。
弱点としては作ってるうちは楽しくなさそうという点だろう。創作を楽しめなくてどうする。創作なんて好きなことやってナンボじゃないか。細かいことを気にして創作の幅を狭めてどうする。しかし、その粗が気になって仕方ないのだ。その粗があると自身の作品を愛せないのだ。なので凝るしかないのだ。
この人種はキャラをうちの子として見るのではなく、駒として見る風潮がある。しかし「このキャラこの目的だけに存在する!」と言われるとちょっとムカつくので、そう思わせない為にどうするか、も切り詰めていく。
なのでこのタイプの人種は創作物を作るのに時間がかかる。キャラに矛盾はないか、整合性は取れているか、魅力的になっているか…。
そもそも「評価ありきで創作をする」というのが、娯楽からズレてしまっているのだ。
評価を求めるなんて学校だの会社だのでたくさんやっている。なのに何故休みの日まで評価を求めなくてはならないのだ。楽しい筈の創作が評価一つで楽しめなくなるというのは、損でしかないからだ。なのが楽しくてオフの時間に現実に戻らなければならないのだ。
しかし、評価ありきで創作をしている人種には、そうするしかないのだ。例え辛くても、スランプに陥っても、いつか評価される快感を求めて、作り続けるしかないのだ。
そういった評価の果てに、商業化という新たな夢を掴む人もいるからだ。そのような道を勝ち取るには、読者という顧客を研究して、彼らにとって何が面白いのか、を愚直に切り詰める必要がある。評価ありきだからこそ、主観だけでは成し得ない。大変なことだ。しかしその先にあるビックな感情を求めて、創作をし続けるのだ。
この2つの創作スタンスには優劣は存在し得ない。創る楽しみも研究するワザが羨ましくなるし、完成品を作る楽しみも楽しさと愛情が羨ましくなる。
そこにはただ、二つの文化というのが存在するだけなのだ。
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