誰が何を気にするか
当たり前のことではあるが、作品の作風というのは作品によって異なる。
そしてどのような作品が好まれるかは、その作品を公開する文化によって異なる。
例えば一般的な層をターゲットとした実写ラブコメのような作品は、人間嫌いなオタク層のウケはあまり良くない。
アニメの実写化で否定的な意見が多いのも、オタクが人間嫌いだからというのも大きい。
子供向けであれば、陰湿なモノよりも明るい作風のモノが求められるし、ひん曲がっているオタクに向けて作品造りをするのであれば、小難しくて陰湿なモノがウケることもある。
前の記事で触れた創作の文化においては、完成品を作ることを楽しみとするタイプの創作における話になるが、評価を得るという目的においてはターゲット分析というのは大切なのである。
創ることを楽しむ創作は評価を求めないので必要ないのだが、完成品を作る創作のスタンスを採っている場合、適切な顧客分析なしに趣味性癖をブチ込むだけでは、自己満足で終わり、求める評価が得られないからだ。
公開する媒体ではどのような作品が好まれるのか。どのような年齢層、嗜好をターゲットにするのか。作品に期待した要素を裏切らないようなコンセプトになっているか。
評価を求める創作は、読み手という人間ありきであり、言わば人商売である。自分が面白いと信じたものを書く、だけでは上手く行かないことも多いのである。
そして、作品に触れるにあたって読み手というのは作品にあるものを期待する。
それはビジュアル面であったり、キャラ造形であったり、シナリオであったり、何を求めるかは読み手や作品によって変わってくる。この期待というのは読み手が作品を触れる理由にもなっているからだ。
作品の方向転換が嫌われる理由も読み手が期待している要素が削がれることが大きい。
例えば、「人間賛歌」を目的に作品に触れてる人がいて、作品が急に「人間はクソ!」みたいな話をし出したら、嫌な気分になるだろう。そうなると折角積み上げてきた読み手との信頼関係が、崩壊するのは間違いないだろう。
作品がヒットしたら「どのような層がどの要素に惹かれているのか」、ヒットしなかったら「この媒体の文化とどう相性悪いのか」は一考の余地があるだろう。
筆者の持論ではあるが、「子供向け作品が大きなお友達に舵を切るのは良くない」と思っている。
これは子供向けのアニメには「夢を与える」「現実逃避としての手段である」という責任があるからだと考えている。
まず子供というのは情報を得る手段が少ない。それこそ学校や親から得られる情報だったり、与えられるモノに偏る。
だからこそ、アニメを通して夢を見て、前を向いて進んで欲しいと思うのだ。
そしてアニメは子供に現実逃避の手段である。
というのも、子供全員が順風満帆の生活を送っているとは限らない。いじめられてる子供達もいる。
そういった子供にとっては学校というのは苦い現実であり、アニメというのはそれから逃避する手段である。
なので、子供向け作品が大きなお友達に舵を切るのは良しとはできない。
勿論、仮面ライダーのように「戦闘のようなビジュアル面は子供向けに、シナリオは大人向けに」といった意図はあっても良いとは思う。というのもテレビのチャンネルの主導権を握っているのは大人の親であり、子供も大人も揃ってハマれることに越したことはないのだ。そういった所謂『ファミリー向け』と言える作品が増えている。
子供向け作品を観る大きなお友達に分類されるオタクも決して少なくない顧客ではあるが、少数派である。
第一の顧客は子供達である。その子供達のことから目を逸らした展開は、子供向け作品ではあまりして欲しくないなと思う。
子供にしろ、大人にしろ、オタクにしろ。
年齢層や文化によって求める作風というのは変わっていくものである。
もし作品作りをするなら、それを裏切らない形で作っていきたいものだ。
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