その表現手法を使う意味とは

創作物というのは様々な表現手法がある。
文章、漫画、映像、ゲーム…様々な手法がある。

しかし、どの表現方法にも特徴があり、どの手段を採用するかにも理由付けが必要になってくるだろう。

まずは文章。
文章で作る創作というものは、とても手軽に作れる。
読むに堪えるものを作るとなると、それなりの文章力であったり知見が必要になってくるが、パソコンやスマートフォンが普及している現代では簡単に文章で創作を作ることができる。
作るというだけであれば技術や設備に投資する必要性も薄く、とにかくハードルが低い。
最近では「小説家になろう!」や「ハーメルン」といった小説投稿サイトにより、不特定多数への公開の敷居が低くなっているのも特徴だ。

しかし、文章での創作は読み手側の想像力問われる。文章が読みやすくスッと入ってくる文章ならともかく、読み辛い文章だと読み手に結構な負担を強いることになる。
何より視覚的要素がある手段より集中力を必要とするため、読み手側からの人気が薄い。

また、位置情報を示すのが苦手であることや、複数の人物の視点が変わる群像劇とは相性が悪い。
戦闘描写も視覚的情報がない分、他の表現手法よりは相性は今一つである。
世界観を上手く書きたい場合は視覚的情報がないだけで大分難易度が上がる為、そのような作品を書きたい場合は後述する漫画や映像の方が相性が良い。

しかしそのデメリットがあっても、敷居の低さは代えがたいメリットがあるのではないだろうか。

最近サブカルチャーコンテンツでみかける「ラジオCD」は文章的な手軽さに加えて、聴覚的摂取を可能としたハイブリットな手段である。
故に、こちらも同じく位置情報の管理が不得手という弱点を持つ。

あと、「最近のオタクは文章読まねぇよ!」なんて言われたことがあるが、読まないんだったらラノベって文化は成り立たないので、勉強した方がいいのではと思った。(ブーメラン)

そういえば。
筆者の知人が小説家になろう!にて『龍のイブキ ~凡人が転生して死にかけましたが【影】の能力を駆使してこの殺伐とした世界を生き抜きます~』を公開している。
ちゃんと面白いので、時間がある方は是非読んでみて欲しい。

次に漫画。
文章だけではなく、イラストを用いることによって、表現の幅を広げた手段だ。

視覚的情報が加わることによって、文章では苦手だった視点の切り替えや位置情報の追加、世界観の表現がしやすくなっている。

文章でも同じことが言えるが、読み手のペースに合わせて進められるというのは、後述するアニメにはない漫画の強みである。
そのため、イラストをじっくり見るという楽しみ方もでき、触れることにおいて一番ストレスレスな方法だと、考えられる。

では、デメリットは何か。
それは敷居の高さだろう。

文章とは違いイラストも必要になる為、技術力が必要になってくる。
Twitterでイラストあげてる人が多いが、文章でも必要とされる構成力に、画力が加わるのだから、それはもう大変である。
週刊誌の漫画家はこれは毎週やるのだから、正気の沙汰ではない。

原作者と作画の2人が作ってる漫画(スパイラル 〜推理の絆〜とか)があるが、これは「創作でやりたいことは視覚的情報が必要になるんだけど、イラストが描けねぇ!」って人が作り上げた手法なんじゃないかなぁ。

因みに筆者のオススメの漫画は『僕のヒーローアカデミア』です。
最近開始した『その淑女は偶像となる』も滅茶苦茶アツいのでオススメです。

映像。最近オタク文化で流行りのヤツのアニメである。
1コマ1コマリアルタイムで動いていくので、人物の動きを鮮明に描くことができる。
バトル系の作品で相性が良い他、聴覚的情報も入る為に、アイドル系の作品のような音楽を使う作品とも相性が良い。
そして何より勝手に流れるので、受け手としての負担も少なめで済む。
アニメ以外にも、映画や特撮もこちらにあたる。

では短所はというと「受動的に摂取できてしまう」という点にあると考える。

作品を摂取する為だけの空間で触れることになる映画は兎も角として、それ以外の映像作品というのは流し見、ながら見ができてしまう。
そうなると曖昧にしか記憶に残らないし、作品で伝えたい意図が伝えきらずに作品を終えてしまうこともある。

特に最近のオタクはアニメに見た本数稼いで話の幅を広げる、知識比べをするという風潮があるので、この流し見されてしまう率は結構高い。
ましてや繰り返しの周回プレイを強要されるソシャゲとアニメの流し見の相性が良い為、そのようなアニメ視聴方法を採ってるオタクは結構多い。
そういう意味では印象に残らない見方でアニメを観て、ソシャゲの周回をしてるのだから、最近のオタク的なアニメの摂取の仕方は時間コスパが悪いんじゃないかなぁ。
(特に自分は余程好きな作品以外はこのような摂取方法を採ってしまうため、あまりアニメを観ないようになってしまった。)

友人と時たま「オールドタイプのオタクが羨ましいなぁ」って話をすることがあるんだけども、ながら見できるようになってしまったから、本数が多いから流し見せざる得なくなったから、というのもあるんじゃないかなぁ。
(その友人はオールドタイプのオタク的な人で、アニメを観る場合もかなりの集中力を消費し、隅々までアニメを観る。)

因みにその友人が書いたゆゆ式の記事も結構面白かったので、良ければ是非。
(自分が観たときはこのような視点はなかったので、結構新鮮だった)

…と、少々話が逸れてしまったが、何よりアニメは「制作に尋常じゃない手間がかかる」というのが短所である。
膨大な量の作画、色彩、声、効果音、BGM…とても個人でできるようなクオリティではない。
最近ではアニメでもCGが用いられるようになるが、こちらも専門的な技術が必要になる。
そういう意味でアニメから展開がスタートする作品ってそんなに多くないんですね。

最近見たアニメだと、「アイドリッシュセブン SecondBEAT!!」が最高でした。

そしてゲーム。ゲームの特徴としては「体験」にあるだろう。
自分が何かしらの操作に影響を与えることによって、展開が変わっていくものだ。

そのゲームを動かしてるのは受け取り手自身であり、体験して追うというアプローチを仕掛けたいときにオススメの手段である。

その体験とはシナリオ的なモノのみならず、ポケットモンスターシリーズのような冒険、ガンダムVSシリーズのようなロボットを操作している感覚と、幅広い体験が楽しめる。

そのゲーム的な体験と、シナリオを共に追う体験を合わせたゲームが最近では増えている。
昔ではRPG以外のゲームのストーリーはないようなものであったが、最近ではそれ以外のジャンルでもストーリーにこだわるゲームが増えている。

この手段の短所は面白いゲームを作る難しさ…もあるのだが、ゲームとシナリオのバランスだろう。

体験と上手くマッチできないと、「ゲームはシナリオ読む為の手段」となり、ゲーム側が軽視されてしまうことが多くある。

最近のソーシャルゲームでは「シナリオを読む為にゲームをやらせる」作品が多いのだが、そうなるといよいよゲームである必要性が薄くなっていく。

そうなると、その作品におけるゲームは没入感を削ぐノイズになってしまうのだ。それなら漫画やアニメの方が良いのでは、と筆者は考える。

でも基本的にゲームするためにゲームしてるのだから、シナリオ読む為にゲームするってそんなにないとは思うんだけども…!


このように様々な表現手段があり、それぞれに良し悪しがある。
創作物を世に出すとしたら、適した手段で魅力的に伝えたいものです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?