一言エッセイ/アンタ結局いくつやねん
幼少期から、忘れられない名セリフがあります。
愛ゆえに 人は苦しまねばならぬ!
愛ゆえに 人は悲しまねばならぬ!
バイオレンスマンガの金字塔「北斗の拳」で、聖帝サウザーが言い放った言葉。
近年では様々にパロディ化されている北斗の拳ですが、
笑いとシリアスは本当に紙一重だなぁとつくづく実感する今日この頃であります。
しかしこの名作をリアルタイムで読んだ身としては、一場面一セリフが我が血肉、といっても過言ではありません。
ご存じの方も多いでしょうが、このセリフの出てくる文脈はこう。
孤児だったサウザーは、一子相伝の拳法・南斗鳳凰拳の伝承者に育てられた。
厳しい修行に耐えて鍛錬を積むサウザー。
ひとつの技を習得するたびに、お師匠さまの大きく温かい手に抱かれるのが何よりのご褒美でした。
そして15才になったサウザーに、最後の試練が。
これから襲いかかる刺客を、目隠ししたまま倒すという非情なものでした。
手練れの相手にひるみながらも、必殺の一撃を食らわせるサウザー。
「やった!」と目隠しを取ると、刺客の正体はなんと大好きなお師匠さまだったのです。
自らの腕のなかで息を引き取る師に、
「こんなに悲しいのなら 苦しいのなら・・」
「愛などいらぬ!」
涙とともに愛との決別を誓いました。
いや当時もね。
顔の骨格変わりすぎやん。
てかサウザーって今いくつなの?
それを言うならラオウだって。
って、みんな思っていましたよ。
「効かぬなぁ~」
って、のけ反りながら真似しましたよ。
けれど、実際に読んでいる時はそんな余裕はありません。
ケンシロウ「ならば俺は愛のために闘おう!」
うおおおお!
血沸き肉躍る熱血の世界に誰もがどっぷりと浸ったものです。
死闘の末、ケンシロウに敗れたサウザーは問いかけます。
「愛や情は哀しみしか生まぬ」
「なのになぜ哀しみを背負おうとする、なぜ苦しみを背負おうとする」
ケンシロウの答えはこう。
「哀しみや苦しみだけではない。お前もぬくもりを覚えているはずだ」
「ぬくもり・・」
その言葉に、サウザーはお師匠さまの温かい手を思い出し、穏やかな表情で最期を迎えます。
「哀しい男よ。だれよりも愛深きゆえに」
崩壊していく聖帝十字陵を背に歩くケンシロウ。
しびれます。
カッコいいとはこういう事・・遺伝子の奥深くに刻み込まれた瞬間でした。
走れや! とか、シュウの亡骸は? などというツッコミはもうしません。
けれど、サウザーの主張は、ある意味で真理だという事だけは言っておきたい。
愛のために、ぬくもりのために、人は本当に苦しみを背負えるのか。
背負えると言えるなら、その愛は一体どれほどの物なのか。
未だ答えは見つからず。
眼前には、愛に彷徨う荒野が果てなく続いています。
1000文字越えてしまいました。お目汚し失礼いたしましたm(__)m