私は命の縷々々々々々 読書メモ

    妻に「なんか良い本を」と言ったら「最近の君の話を聞くに、この思弁SFがよかろう」と。なんでも人の生、性差、生き方を描く物語なようだ。

・用語集が巻頭にあり、『環代』責任の主体である人類には、絶滅しない義務がある。として、出生と選択と義務とが結び付けられた倫理思想観的時代区分。とある。人類のとらえかたが面白い。

・数ページ読んだだけで文章の美しさに惹かれる。「見えない透明な手をゆっくりと伸ばしてくるような眼をこちらに向けていた」「川面に散った桜の花筏のように、見出されることで初めて名前を与えられる。あるいは、一説の旋律のように。かけらが集まることでどこからか滾々と手触りが湧き上がってくる。」

・じっくりと生態系を作るために、わたしたちは3年間を同じクラスで過ごす。……現実、多くの学校で採用されているシステムがSFのこの物語では説得力を持つように思う。実際にも生態系のようなものは形成されていて、わたしたちはそこで息苦しく育つように思う。のは、わたしだからだろうか。

・同室の人の配信の声をイヤホン越しに聞くシーンがあった。ノイズキャンセリングというのはノイズに逆位相の音を当てて打ち消すのだとか。人の話によると、ちゃんと雑踏の音だけ消してくれるんだと聞いた。何がノイズで何が聞きたい音なのか。聞かせたい音が選ばれて出力されているのだなぁ。

・選択と責任と、そこに至る思考と、その背景である環境と、個人の利益や感情、集団の意志。複雑に絡み合う大きな流れや澱みを心地いい文章で可視化してくれる。この心地良さというのは自然との触れ合いで感じるそれで、単に良さだけでなくカビ臭さやヌルっとした不気味な手触りのような軽いものから、天災やあまりの雄大さから感じる恐怖まで含めた……で。

・この小説に多用される「倫理」がしっくりこないでいる。SFの文脈に乗っているからではなくて、単にわたしの理解が足りないんだと思う。わたしの思う倫理は社会と個人の結びつきからなる、ある意味で相互の契約のようなもので、その個人がどう社会を認識するかによるもので、その逆もまた然りだと考える。そうか、まるで社会からの要請に応えるという意味でしか使われてないなと考えていたけれど、それこそ「幽霊になれない」なのか。外れることを許されない世界。選択と責任を行使せざるを得ない世界。

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