表紙3

COMITIA129新刊「獣の姿三」文章サンプル

8月25日のCOMITIA129で頒布する小説、「獣の姿三」の冒頭文のサンプルです。

サークル名:竹風 スペースNo:Q07a
「獣の姿三」A6 55p 500円

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 1

 仕事終わりの一杯というのは格別なものだ。
 もっとも俺は職業柄、毎夜毎夜というわけにはいかない。しゃんとして臨まなければ『相手』に失礼だからだ。その礼を『相手』が理解しているかは別として。
 それでも、時間の余裕を見つけては行きつけの居酒屋へ足を運んだ。
 仕事場兼自宅のある住宅街から大通りを真っ直ぐ、仕事帰りの人の波に逆らって駅前へ出れば、ロータリーの一角から飲み屋街が始まっている。規模は小さいが、良い店が軒を連ねていた。
 その中の一つ、行きつけにしている店の馴染みの暖簾を潜れば、馴染みの大将に馴染みの店員がいる。そして、この時間なら馴染みの客もいるはず。そう思っていると、店員の方から、あいつがどこに座っているか教えてくれた。
 座敷席の奥の方に、いつもの人好きのする笑顔が見える。
 岡本、と声を掛けようとして、その声を喉へと引っ込めた。
 岡本の向かいに人が座っている。後ろ姿だけでは断定できないが、俺の知っている人では無さそうだ。
 二人の雰囲気は、傍から見ていても非常に良い。良いと言うか、親密と言った方がしっくり来る様子だった。
 岡本は顔だけでなく人当たりも良い。しかし、実際は表面的な付き合いが良いという程度で、他人に心を開くようなことはあまり無かった。その岡本がとても仲良さげに人と飲んでいる。珍しいこともあるものだ。
 他の人と飲んでいるなら相席は遠慮しようと踵を返したところで、岡本が俺に気付いた。

「あ、先生! こっち、こっち!」
「いいよ。邪魔しちゃ悪いから」
「良いんだよ。ちょうど今、先生に会わせるって話してたとこだから」

 どうやら、向かいの男性は俺に会わせたい人らしい。そういうことなら彼の言葉に甘えてもいいかと、俺は岡本の隣に座った。
 後ろ姿を見た時から思っていたが、男性のスーツに包まれた体は随分としっかりしている。肩や胸の筋肉がアスリート並みに鍛え上げられ、ワイシャツを内側から押し広げていた。
 顔立ちもしっかりとしているが、怖いというほどではない。まさにアスリートといった雰囲気の人だ。
 俺が人間観察をしている内に、男性に対する俺の紹介を岡本が済ませていた。

「先生。先生? 聞いてる?」
「あぁ、ごめん。何?」
「何、じゃねぇよ。人が友達紹介してるって時に」
「本当、ごめん」
「しっかりしてくれよ。で、こいつが戸山。俺の大学ん時の友達。そんで、」
「それで?」
「こいつ、蛙なんだ」

 岡本の言葉に、俺は酷く納得した。どうりで岡本が心を開いていると思った。自分と同じ境遇の〝人間〟なら、打ち解けることも出来るだろう。
 この世の中には「人間の姿になれる動物」がいる。
 彼らは最初、動物として生を享ける。しかし、ある日突然、人間の赤ちゃんの姿になるという。その姿の間に人間に見つかって保護されると、しばらくの間は人間として生きることになる。それからまたしばらくすると、今度は元の動物の姿に戻る。そこでようやく、自分が人間に変身できる動物だということを知るらしい。以降は自分の意志で自由に変身できるようになり、人間社会の中で生きていくことになる。
 この不思議な動物の〝一人〟が、岡本である。紀州犬として生まれた彼は、ヨーコという伴侶を得て、子宝にも恵まれ、犬としての生活が充実していた。
 子どもたちはついこの間、独り立ちとして紀州犬愛好家やブリーダーへ里子に出したばかりである。大人になったのだから親の手を離れて自分の力で生きていくべきだと言っていたが、いざ別れの時になるとそれはそれは大号泣だった。引き渡しの手伝いとして俺もその場にいたが、結局俺一人で引き渡しを仕切った。
 俺の周りには何故か、岡本の他にも「人間になれる動物」がいる。俺の動物病院の看護師である西野さん。さっき応対してくれたこの店の店員の香西さん。それから、以前に色々あって西野さんが買った家で一人暮らしをしている準。それぞれ、ニホンジカ、シマヘビ、黒猫である。
 そして今、戸山さんが新しく知り合いの「動物」になったわけだが、蛙と一口に言っても色んな蛙がいる。それぞれに特性があり、接し方も異なってくる。種を知っておくことはかなり重要だ。

「戸山さんは蛙ということですけど、種類は何になるんでしょうか」
「俺は、ニホンアマガエルです。田んぼとかによくいる」
「そうそう。だからこいつ、初めて人になったのが田んぼの中だったんで、溺れそうになったんだもんな」
「あれは怖かったなぁ。死ぬかと思ったもん」
「俺らは陸だからあれだけど、水の奴らはそういうのがあるからな」
「俺、思ったんだけどよ。魚も人になったりすんのかな」
「魚はいねぇだろ、流石に」

 岡本と戸山さんの間で話が盛り上がっていると、俺の注文を取りに香西さんがやって来る。

「おい、岡本。先生除け者にしちゃだめだろ。ちゃんと仲間に入れてやれよ」
「あ。ごめん、先生!」
「いいよ。俺は横入りしたようなもんだから」
「そんな寂しいこと言うなよー!」

 俺の肩口に頭をぐりぐりと押し付ける岡本が、少し鬱陶しかった。
 その様を見た戸山さんが豪快に笑い出す。なかなか大きな声で驚いたが、周囲も騒がしいので、人がこちらを見てくるようなことは無かった。

「なるほど。本当に懐いてんだな、岡本」
「こいつの場合、懐くっていうより構ってほしいって感じですけどね」
「いや。岡本は先生が好きなんですよ」

 戸山さんの言葉に、俺は思わず引いてしまう。
 以前に西野さんにも言われたが、それがどういう意味なのかがまるでわからなかった。
 彼女ないし嫁に対する愛情という意味ではヨーコがいるし、友達という意味にしては皆、言葉に〝熱〟を持たせて話してくる。
 この話はあまり深掘りしたくなかったので、俺は無理やりに話題を変えた。

「そういえば、香西さんは戸山さんのことご存じなんですか?」
「さっき、店に来た時に岡本が紹介してくれたんだ。おかげで、さっきから怖がられちゃってさぁ」

 天敵の動物を目の前にした時の「食べられてしまうかもしれない」という本能的な恐怖は、たとえ相手が人間の姿であっても感じるらしい。
 現に戸山さんの方に目を向ければ、香西さんの動きを見逃すまいと、少し怯えた目で彼をちらちらと見ていた。
 無理も無いとは思う。蛇は蛙の天敵だ。人間だって、絶対に襲われないと言われたって、目の前にライオンがいたら怖いだろう。

「で、先生。注文は?」
「あぁ、すみません。ビールと、それから、いかの串焼きで」
「はいよー。生一丁といか入りまーす!」

 厨房の大将に威勢の良い声で俺の注文を伝えて、香西さんは席を離れていった。
 戸山さんはようやく緊張をほぐして深くため息を吐く。よほど気を張り詰めていたというのがため息の長さでよくわかった。

「やっと落ち着けますね」
「人としては悪くないんですけど、動物としてはまさに敵ですから」
「そこに関しては悪いことした。すまん」
「岡本が謝ることじゃねぇよ」
「あ、そうだ。今度、準と一緒に来ようぜ。準の前なら香西がビビるから」
「準って、お前がさっき言ってた猫だろ? 猫じゃあ、俺もだめだよ」
「アマガエルだろ? こーんなちっちゃいの、あいつら食べるか?」
「食べるかどうかはわからんが、飯としては認識するだろ」

 戸山さんの声は体躯に似合わぬ弱々しいものになっている。
 そういえば、俺の周りの「人間になれる動物」でここまで明確な捕食関係があったのは鼠の彼以来だから、こういったやり取りは随分と久しぶりだ。
 彼、大倉くんは今頃どうしているだろうかと思いを馳せていると、香西さんが俺の注文した品を持って戻って来る。

「はい。生といかの串焼きになりまーす」
「ありがとうございます」

 ビールのジョッキと串焼きの皿がテーブルに置かれると、俺は早速ジョッキを手に取った。岡本と戸山さんもそれぞれビールを手に取り、三人の出会いに乾杯する。
 ビールを四口ほど喉に流し込んだ後、しっかりと手を合わせてから、いかの串焼きにかじり付いた。
 この店のおつまみはとにかく美味い。香西さんがいるということもあるが、この料理の数々も、俺がここを行きつけにしている理由だった。
 俺たちがよろしくやっている様子をじっと見て、今度は香西さんがため息を吐く。

「あー。俺も乾杯したかったなぁ。せっかく同士に出会ったんだから」
「そう思ってるのはお前だけだぞ。戸山はいつ食われるかってひやひやしてんだからな」
「それはしょうがねぇだろ。戸山さんは蛙で、俺は蛇なんだから」
「こいつはなぁ、こないだ子どもが産まれたばっかなんだぞ」
「そうなんですか! おめでとうございます!」

 こういった話には獣医として食い付いてしまうというものだ。戸山さんの方に勢いよく顔を向けて、話を聞く態勢を取る。

「産まれたって言っても、卵から孵っただけで、俺は何も」
「卵からって、産まれるところをご覧になったんですか?」
「えぇ。田んぼに行って蛙になって、様子を。蛙としてはどうということも無いですけど、人としては我が子が産まれてくるのを見届けたいと思って」
「良いじゃないですか。皆、元気に育つと良いですね」
「子どもかぁ。やっぱ、そうなるもんなのかね」

 香西さんはそう言って、テーブルに片肘を乗せてきた。

「そうなるって?」
「いや、生き物としてはさ、一部を除けば大体の動物のオスは子育てに関わらないだろ? 俺みたいな爬虫類なんかはメスすらそもそも子育てしなかったりするし。それでも、人になって人の考えが身に付くと、動物として子どもを作っても、人の考え方で子どもに接するのかなって思って」
「お前はそれ以前に嫁さんだろ? 見つかったの?」

 岡本の言葉に、香西さんは少しむっとしながら、探してるとこだよ、と答えて続ける。

「岡本は哺乳類だし、俺に比べたら子どもに対して積極的だと思うけど、そういうの、どうだった?」
「俺は心から嫁と子どもたちを愛してるからな。子育てもしっかりやったよ。ただ、それが犬と人のどっちから来てる感情かって言われると、ちょっとわからないなぁ。お前の言うように、犬としての考え方も人に近いところがあるから」
「そっかぁ。俺はどうなんのかな」
「お前が子どもにべったりってことは無いだろうな」
「言ったな、この野郎。俺だって戸山さんみたいに卵から孵るのを見届けてやるから! 今決めた!」
「だから、その前に嫁さんな」
「ちゃんと探してますー! 色んなとこ這い回って、結構大変なんだからな!」

 俺と戸山さんを置き去りにして、二人は大将のカミナリが落ちるまで言い争った。

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