ハッとさせられたんだ。

安楽死の件をテレビでやっていた。
同じALSの方と旦那さんとの日々を映し旦那さん言葉を選びながら話をしていて真摯な人だなぁと思った。
それはともかく
同じ病名ついてるからといって、
誰かの苦悩や絶望について、語らせることはどこか残酷に感じた。
同じ病名がついたから、
同じ区分だから、
何か理解できる
何らか発言に説得力がある、
そういうこともあるだろう。
でも
そうじゃないこともたくさんあるだろう。
『同じ立場である』『近しい立場である』
『私は○○について知っている』
『私は△△な活動をしてきた』
『僕は介護の仕事をしてきたから、、、』
果たして、それは
本当か?
説得力をもたらすテクニックまたは思考の誘導を自らのアイデンティティにすり替えてないか?
『病気になる前の画像』という主旨のテロップがつき、微笑む女性の笑顔。
彼女は、惨めさから解放される為の安楽死の先にある、この現実をどう感じるのかなぁと。
もちろん感じることはできないのだけど。
ジャーナリズムって、様々な意味はあるのだろうが、
何よりショックだったのは、
他人様に介助される惨めさ
自分で自分のことができなくなる辛さを
訴えて安楽死を望み、叶えてしまう。
その行為の是非はともかく、
その人のツイートも顔写真も、
本人が亡くなった後、全国に詳かにされていくという、きっと当たり前の現象に。
ハッとさせられた。
社会の構成員の義務とは、
死んだ後に
どんな形であれ
議論の緒になることなのかな。
ハッとさせられた。

ハッとさせられたんだ。


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