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爪小屋・・・現代の寺子屋/5枚や10枚の白い世界から、光を放つ術
【先に宣伝】
・セルフネイルでうまくやれない人、もっとうまくやりたい人
・爪の健康が保たれていないなという人
・ネイリストしてるけど、わからないことがある人
・そして、ネイルケアに興味のある若い人達
いわば、「研修」企画。
爪に関するオフラインサロン。それは≪健康寿命を延ばす≫という想いから。
【今の時代に、早めに手に職をつけるということ】
例えば、
平日の、朝から夕方の時間帯は、
決まった場所、決まった部屋に並べられ
同じ制服を着て、同じ年恰好の個体が集められ、とある課題、とある枠組の中で生活をすることをうまくやれるか、やれないか・・・・・これで人生80年、90年における大きな評価やイキガイやら、幸せについて規定されてしまう。
これが近現代の教育の様態・様式なのだけれど、さて、そろそろ
違う生き方ができたって良いと思う。
社会性っていうのは大切かもしれないけれど、
社会性と個性のバランスについて、もっと、有機的にチョイスができてもいいんじゃないかなぁと思っている。
さて、皆さんの知り合いのお子さんの中に、
学校の勉強はあまり好きじゃない、同じ場所に意味もなく座ってることが性に合わない・・・・勉強は向かない、早く手に職つけたいという意識をもっている若い人がいるんじゃないだろうか。
今の時代は、良し悪しは様々あるが、
ネット環境により、個人が世界と直接つながれるし、交通網がある程度発達した都市においては、群れないと生きていけないとか、嫌いな場所にいないといけないという前提自体は覆っている。
そんな時代に、
専門家の仕事をみることができる、
直接学ぶことができる、
何よりやりたいことを能動的に学べるという仕組みがあるということはとても有意義で、
旧態依然とした学校という共同生活を経なければならない、、ではなく、もっと選択肢があったっていいと思っている。
例えば、働き方改革の前提には「生き方改革」があるはずだ。
働き方を多様化させ、社会的課題のいくつかが解決されるメリットを獲得する、、そんな努力の前に、まず我々は様々な生き方を容認する努力をまず積み上げたらいいんじゃないかと思う。
(こういう時代に対しての道義的責任を個が負う部分とは、そういった「視線・意識」についてがまず一番じゃないかなぁと僕は内心どこかで思っている)
僕みたいに、
「(行政サービスとしての)福祉とかもう死んでるねん。もう民間でのサービス業として蘇らな!」とか好き勝手いう、はみだしモノとしては、特に若い人達に対して、声を大にして言いたいのは、
「大人たちがいうような、
一般教養や、社会常識、つぶしのきく勉強、そして、リベラルアーツは、
このブサイクで、しょうもない世界において、確かにとても大切だけれども、
それは学校じゃなくっても、学べるのだ。
君たちの力になるのだ。
だから、学校や社会システムが合わないからって、
さほど気に病む必要はないのだよ」ということ。
リベラル・アーツとは、「生きる上で自由になる為の技術・知識」の総称だもの。
学校はあんまり好きじゃないから、ネイリストになりたいんだけど、実際、専門学校にいく余裕はないんだよねー、んー、迷ってるんだよね、っていう人は、こういう企画に是非、のっかってみてはどうだろうか。
絵を描くのが好きなんだけど、芸大にいくのはちょっと違うなぁ、勉強嫌いやなぁという人は、目線をかえて違う方向から、頂きをのぼっていってみるのもいいかもしれない。きっと、どのみち勉強と修練は必要なのだから。
技術を磨いたり、才能で飯を食うのはとんでもなく大変だが、その上で、きっと、学校では教えないことや、親では気づいてやれない、先生では気づいてやれないことを気づいてくれて、それが人生の光明になることだってあると思うのだ。
ちなみに、リベラレルアーツを翻訳した、
一番最初の言葉、それが
「藝術」という言葉だ。
5枚や10枚の白い世界から、光を放つ術・・・・ネイリストとは、小さな小さな、平面とはいいがたい「爪」というキャンバスに、何かしらの「祈り」を具象化して描く術をもつものであり、
ネイルデザインとは、
人の暮らしや、施術者自身の手元を照らし、 また、それぞれの足元の暗がりを明るくする「藝術」なのだと思う。
繰り返しになるが、
僕のような好き勝手に生きている大人の出来損ないとしては、