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元旦号特集 相模原から山梨に伝わる雛鶴姫と護良親王の伝説、その足跡をたどる/①「鎌倉幕府滅亡期に悲運の姫」

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〜2月7日 17:30

 奥相模の豊かな自然、歴史伝承などを描いた「奥さがみ道志・桂川 散策絵図」を観光振興に尽力する相模原商工会議所副会頭で北辰企業社長の原幹朗さんが、構想から3年ほどかけて2024年に自費で企画制作した。都県や市町村を超えた広域観光の実現を目指した鳥観図で、さまざまな歴史伝承が描かれている。市民が地元の郷土史を知らずに、広域観光は不可能である。「市民が知らない奥相模歴史秘話」と題して、同地域に伝わる歴史伝承について連載していく。今号からは相模原市とも深い関係のある「雛鶴(ひなづる)姫伝説」について歴史伝承を探った。【2025年1月1日号掲載】

■2つの雛鶴神社


 山梨県上野原市と同県都留市の市境に雛鶴峠がある。峠の都留市側に山梨リニア実験線の車両基地が置かれている。この峠を東西に挟むように上野原市側と都留市側に2カ所の雛鶴神社が鎮座する。

 上野原市側の雛鶴神社の社伝には「雛鶴神社は秋山村無生野(現上野原市秋山無生野)にあり、大塔宮護良(だいとうのみや・もりよし)親王の妃・雛鶴姫を祀る(1989年10月 本殿、拝殿再建)」とある。

雛鶴神社(山梨県上野原市)=相模原市緑区牧野から山梨県都留市を結ぶ山梨県道四日市場上野原線沿いにある。小さな川と山の間に鎮座し、赤い橋を渡ることで参拝できる。無生野で産気づいた姫が12月29日に出産したが母子ともに死亡したと伝わる(同神社)。



 雛鶴姫が生きた時代は、鎌倉時代末期、鎌倉幕府滅亡直後までさかのぼる。同神社の社伝によると、1335年7月、第96代・後醍醐天皇の皇子の護良親王は鎌倉において、悲運の最期をとげた。そばに仕えていた身重の雛鶴姫は悲嘆にくれたが、従者とともに護良親王の首級を抱いて京都を目指して鎌倉を出立。相州下柏尾(現横浜市戸塚区柏尾町)の四つ抗井戸で首級を清め、次いで串川村(現相模原市緑区青山)の光明寺に立ち寄り、甲州秋山に入り無生野の里にたどり着いたのは年の暮れであった。

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1月8日 17:30 〜 2月7日 17:30