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短歌集『チョコレート革命』を読む。胸がいっぱいになって一旦止める。
『チョコレート革命』を買ってきた。
サラダ記念日で有名な俵万智さんの短歌集で、1997年(平成9年)、俵さんが35歳のころに出版された。私があまり覚えていない、平成最初のほうの歌である。
教科書に載っているもの以外で、彼女の作品を単行本で読むのははじめてだった。はじめてみた構成で、小説などとはちょっと違う。
一ページに三首。見開きで合計六首が印刷されている。空白が多いものだから買ったときにはサクサク一晩で読めると思っていたのだけれど、ところがどっこい。最初でやられてしまい、私は最初の一章で本を一旦閉じることとなった。
胸がいっぱいになってしまったのだ。
『チョコレート革命』の最初の章のタイトルは「だあれもいない」。
扱うテーマは恋愛にこだわらない。祖母の家を思い出し、恋人を想い、恋人にはならないと決めた人の話をし、コンビニで香典袋を買ったり、タクシーの運転手と話をしてみたり。
もしかしたら私が今住む東京の地下鉄で、すれ違っているかもしれない普通の女性の一瞬が描かれている。
短い、たった31字ほどの文字数なのに、情景が思い浮かぶ。文字は絞られているのに、情報はまるで縛られない。頭の中には情報が、というか記憶が掘り起こされて勝手に鼻の奥がつんとしてくる。
学生のころには見向きもしなかった短歌がどういうわけか今、私の脳を揺さぶってくる。私が35歳に少し近づいたからだろうか。年をとって思い出が多くなったから、何を読んでも何かを思い出すようで、胸がいっぱいになってしまうのか。それともいろいろなことを思い出せなくなったから、思い出せない気持ちを想って胸が苦しくなるんだろうか。
コーヒーを飲んで気持ちを落ち着けたら再び本を開く。
そうすると今度は、まだ生々しかっただろう阪神淡路大震災のことや、当時の事件、今じゃ使わないFAXや固定電話がちらほらと出てくる。なんとなくこういう感じなのかな?と想像しながら読む。だがその感覚さえも妙に懐かしい。
いうなら、実家にいたころ昼間に再放送されていた少し昔のドラマを見たときのような、近所の美容院に置いてあった少し前の漫画を読んだ時のような、ちょっと違和感ある知らない時代の話を読むようなあの感覚だ。
そういえば最近、昔の小説や再放送のドラマ、昔の映画をみなくなってこういう感覚を久しく味わっていなかった。
でもどうしてだか私はこの歌の中の平成のほうが生々しく、即物的で、誰かが生きている感じがする。生の躍動とでもいうべきだろうか。彼女の描く世界がそうだったからだろうか。
調べたところバブルがはじけた後1997年にかけて経済は回復していた、が、この直後1998年で一気に景気は後退している。チョコレート革命が書かれた時期は、これから日本がよくなりそうな雰囲気だったんじゃないだろうか。
まあ、だからって別に昔の平成が羨ましく感じることはちっともないんだけれど。時代のせいじゃなくて、私が今の令和を生きるのに感度が低いだけかもしれないし。
途中までしか読んでいないけど、いつの世も変わらないと思ったかと思ったら、時代が違うと思ったり。私の知らないディープな恋愛しているような"彼女"が興味深かったり。読んでいて忙しい。これを読み終わったら、別の短歌集を買ってみようと思う。
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