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なぜ英語を話せない私が、「Oops!」だけ自然に言えるのだろうか。

昨日ふと思ったのだ。

なぜ英語を話せない私が、「Oops!」だけ自然なは言えるのだろうか。

この非常にどうでも良い疑問の背景と、そこから生まれた「仕草の無意識化ってもっと意識的にがんがん使っていた方がよくね?」という結論について述べる。

とはいえ、まず単語から訳がわからない人もいると思うので、
この「Oops!」という言葉について前提条件から話したい。

Oops!とは?

この「Oops!」とはカタカナ英語に直すと「ウップス」という音になる。
使い方としては、

Oops! I’m sorry.
(おっと!ごめんなさい!)

というような感じだ。
要はちょっとしたミスをした時、やらかした時に、「おっとー!」「うわっ!」「くそっ!」みたいな感じで使う感嘆詞である。

※実際の英語圏の人が使うかは知らない。とにかく、ブラット・ピットとかメル・ギブソンとかが映画で使っていたのだ。

そしてそれを、帰国子女でもなければ、留学経験もない、TOFFLとかもクソな20代女性が使えているのはなぜか?というのが今回の問いかけだった。

うむ。

結論から言おう、それは愛だ。

私は映画が好きだが、1ヶ月に50本映画をみますとかそういう本気の人ではない。
木曜洋画劇場が大好きでした、とかそういうタイプのライトでミーハーなタイプの映画好きである。だが歴は長い。

テレ東が映る地域で、ちょっと映画好きの親の下に生まれ育ったのだが、お陰様で幼稚園児の時から一つの習慣があった。
それは、21時から洋画を観るという習慣である。

木曜洋画劇場にはじまり、金曜洋画劇場、土曜プレミアム、日曜洋画劇場にいたるまで、週4日2時間の映画鑑賞を幼稚園児から高校生に至るまで続けた。

その結果生まれたのが、大衆向けのハリウッド映画が好きな洋画ヲタである。

そして問題の「Oops!」を身につけたタイミングであるが、これは中学2年生くらいの頃だったと覚えている。

当時アイシールド21が流行っており、その中の登場人物蛭魔の影響か、クラスの一部の男子生徒諸君の間で「F**k」などと大変美しくないカースワードが流行っていた。

この時私は「こいつら何もわかってねーなそれは***という意味もあるのに、下品な奴」と思うと同時に考えたのだ。

「映画のセリフの普段遣い、かっこよくね?」と。

厨二年生という大変多感な時期にいた私は、この思いつきにいたく感動し、実行に移した。
F***ほど下品でなく、しかも自然に、カッコ良いセリフを浅くて深い映画知識から漁った。
そしてたどり着いたのが、「Oops!」だったのだ。

さて、慣れるのは大変で、もちろん最初からは使えない。
普通に「おっと」「あっ」とかいってしまうのだが、それをあえて言い直す。
わざと失敗して「Oops!」と言ってみるなど無駄な努力を重ねた。
その繰り返しによって自然と「Oops!」が使えるようになっていた。

この無意識化には長い時間と、モチベーションをもって取り組む必要があた。
しかし私にはすでに十数年間で培ったハリウッド俳優への憧れという原動力と、毎週映画をみるというモチベーションの維持によって実現した。

ここからは発見できることは何か?

それは、

言葉遣いは人の努力によって変われるものである。

言葉遣いは、ある人物への同一視をすすめる。

というものである。

同一視というのは心理学の用語で、ストレスが生まれた時それを発散するための無意識的におのる精神的な防御システムの一つである。昇華や、置き換え、否認などは学校の授業でも習ったことがあるだろう。同一視は、他人の優れた能力や実績を自分とを同一視することで自己評価を高め欲求を満たそうとする防衛機制である。

中学三年生の時など、それはそれはストレスフルな状況にいたが、こういう一人遊びによって切り抜けられたのではと自己分析している。

この現象自体はそう珍しいことではない。

例えば、あなたは誰かがボケたとき、どのように突っ込むか?多分エセ関西弁だ。それは、そういうフランクなコミュ力のある人間を演じているのではないか。
例えば、あなたの煙草の持ち方は誰かの俳優と同じだったりしないか。
例えば、眼鏡の上げ方はアニメのキャラクターと同じだったりしないか?

教師をしている先生が言っていたのだが、一時期女子高生たちは全員浜崎あゆみのような鼻にかかったような?話し方になったらしい。

意外と人は、簡単に誰かの真似をしているし、それを無意識に自分のものにできる。そして何より、そこには自分が〇〇になりたい、〇〇のような振る舞いをしたいというモチベーションが隠されているのだ。

私は上記のようなことにいまさらながら気づいた。

「無意識の一瞬の仕草がかわいい」

なんて言うけど、それは実は長い年月をかけてその人が選びとって習得した一つの無意識かもしれない。

そう思うと、もうちょっとカッコよく。ちょっと気をつけるだけで、自分がこれから理想の自分に近づく感じがしないか?

私は感じたので、プラダを着た悪魔を観ながら、所作をメリル・ストリープ風にしようと思う。

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さがこ
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