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朝日新聞ポッドキャストが気に入っている話。

最近、朝日新聞ポッドキャストがおもしろい。

Podcast好きな人は何十番組も聞くらしいけど、私はそこまで聴いていない。
必ず全部聞くスタメン入りしている4番組くらい、たまに聴いてるのが3番組くらい常にあるの状態なのだが、このスタメンに新しくはいったのが朝日新聞のポッドキャスト「MEDIA TALK」だ。

話題はもちろん面白い。
高齢社会で働き手がなくなる未来について語る「8がけ社会」というシリーズもあったのだが、地方の歩道橋が維持できない、女性記者自身の子育ての話、朝日新聞社になぞの学生バイトが減った話にも飛びしており、社会の問題と記者自身の身の回りの話もあわさってどれもおもしろかった。

だが、スタメン入りした一番の理由はテーマが面白いからではない。
心惹かれた理由は、番組に登場してくる記者たちの「誠実な感じ」に好感が持てたからだ。

普通会話を面白くしようとすると、極端な意見をだしてみたり、誇張してみたり、茶化してみたりするだろう。ところが登場している記者たちは、自分の中でまとまっていない話題に対して言い淀んだり、わかりやすい結論をつけなかったりするのだ。

XやTikTokを見ていれば「言葉足らず、配慮足らずの言葉」「知識不足からくる極端な意見」が溢れている。普段の知り合いとの会話の中でさえよくあることだが、ここにはそれがない。

例えばMEDIA TALK内の「8がけ社会」シリーズではMC以外にも、毎回いろいろな記者が出てくる。つまりはPodcast慣れしていない人たちがどんどん出てきて、しかも白黒つけられない問題について喋っていることになる。

記者自身取材もしてきているわけだし情報量はかなりあるはずなのに、極論を返すことはない。ミクロな事象で反対意見をいうこともない。
まだ意見がまとまっていないのなら少し言い淀んで、結論がだせないのならそのままに、今話せることを話す誠実さがある。

だから番組内には時折、微妙な間がある。
そしてコンテンツに「オチ」をつけるために、急いで意見することもしないから超絶おもしろコンテンツにできてない。ワイドショー的な面白コンテンツになっていないのだ。
だがそこがいい。そういうシーンがまあまあ多くて、その人間臭さがなんだか染み入るのである。雑にいうととってもエモなのだ。

誰でも簡単に主張を公に出せるようになった世の中で、そういう言葉を選ぶ「誠実さ」に出会いづらい。アルゴリズム上でづらいし下手すると叩かれる。

だが別に、常に話をなあなあにしているわけでもない。
MCの神田さんがその役回り上、ゲストの記者にちょっと露悪的に尖った意見をぶつけて反応を伺うシーンが複数ある。だがこれのおかげで「がんばろうね」「そういうこともあるね」「どうしよっかね」みたいなぐだぐだ無音状態になっておらず、緩急あってちゃんとコンテンツになっている。

まあ本当は記者たちも、とんでもねえ極論を抱えているのかもしれない。
だがそれを言わないことを「組織人ゆえの臆病さ」とはあまり思わない。その問題に関わる人たちを知ったがゆえの配慮だと思っている。

正直、あまり新聞というものに好感はなかった。
私は諸事情によりマイノリティに所属しているのだが、それを好きに叩く「新聞記者」「雑誌記者」というのを見たことがあるからだ。

「新聞社の人間」と聞くだけで、そこそこいい大学をでたホワイトカラー。お金にあまり困ったこともない、しかも社会正義なるものを尊ぶ属性の偏った人たち。ちょっと何考えてるか分かんない、無自覚で偏った正義持ってそう、こわい!と思っている。
(私の偏見だとは思うが、完全な間違いでもないと思っている)

そういう怖さが、音声を聞いていてちょっと減った。
まあやべえ人はこのPodcastには出ないだろうけど、そうじゃない人たちがあの新聞社でインタビューして、編集して、誌面を作ってるんだろうと感じとれて良かった。

ぼちぼちまた新聞読んでみようと思う。
(MEDIA TALKをしるきっかけになったドングリFMありがとう)

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さがこ
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