saga

初めまして。当方現在はてなブログで活動している者ですが、色んなブログを試してみたいと思いゲスト寄稿させて頂きたく登録しました。小説を中心に執筆しています。まだまだ初心者なので拙い文章しか書けませんが宜しくお願い致します^^

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最近の記事

【短編日記小説】#6 flat

 台風の影響か天の気まぐれか、勇壮な風が、何時にない轟音を立てて暴れ狂っている。縦横無尽に飛び交う無色透明な風が、風同士で戦っている姿は想像出来ないまでも、その風向きや風量という自然のベクトルには、一縷の興味が惹かれる。  外から聞こえてくる物音は、その強風に攫われるゴミ等の転がる音か。ガタガタと揺れる雨戸の音に較べれば何の事もない、一々気にするにも及ばない些細な物音であろうとも、静謐だけが取り柄のようなhの部屋からは、それがやけにぎこちなく思えて仕方がない。  元々嫌いであ

    • 【短編日記小説】#5 ウミガメとして

       昨日と同様ウォーキングに出かけたhは、あの年齢を感じさせない翁の姿を、須磨海岸に探していた。視点を遠くに置きながらも、直ぐ近くに居る者の存在も、抜かりなく確かめるような、狡猾な物色のし方で。  それにしても暑い日が続く。間歇的にも起こる、眩暈にまでは及ばない、軽い立ち眩みが、まるで自力に依って創られたもののような気がする。これが長じれば、人は自らの意思で卒倒する事も出来るのではなかろうか。  そんな莫迦な事を考えながらも、彼はまた海釣り公園にまで足を延ばし、其処で小休止とし

      • 【短編日記小説】#4 足を延ばせば 

         曇ってはいても明るい空。少々生暖かくとも、腐っても風は風。風が雲を動かすとは言うが、窓外に見る煙のような綿菓子のような、或いはサンタクロースの髭のような、幾重にも積み重ねられた白皙たる積雲達の行進には、どこか自発性が感じられる。  雲間から差し込む一筋の光芒は、hの家の真正面に建つ工場の、急勾配なトタン屋根に反射され、彼が住まう居間へと容赦なく降り注ぐ。それでも窓やカーテンを閉めたくはない彼は、休日という事もあって、好きなウォーキングをしようと、気まぐれにも衝動的に家を出て

        • 【短編日記小説】#3 魅惑

           夏に見る日の長さは、それ自体が夜という闇を嫌っているような気もしないではない。一切の光が差し込まない暗晦な牢獄に囚われていたが為に、暗所恐怖症などという、厄介な症状に冒されてしまった囚人のように。  それと称した天為を囚人の精神に喩え、見比べ、閲しようとする行為も、余りに稚拙で無礼で、奇態な実験と揶揄されても返す言葉は無いに等しい訳だが、天を始めとする自然でさえも一衆生と見做すのであれば、そこまでの罪悪感に駆られる必要もないような。  仕事を死ぬまでの暇潰しぐらいにしか考え

          【短編日記小説】#2 灰色の月曜日

           平日という日常が当たり前のように始まる。昨日や一昨日という高々一二日前の週末を、恰も古の歴史の産物として遺棄し、前だけを向いて生きて行けと言わんばかりの些か偏向的で、苛烈な処遇にて。  そう恣意的に思い込んでしまう、相変わらずの要らぬ思慮に過ぎる、そして怠惰なhの気質も救い難い。そのような為体でこれから生きて行けるのか。職場に向かうのさえままならないのではないのか。事実、彼の身体は鉛のように重く固まり、その足は床を踏もうともしなかった。  食欲がないまでも、朝だけはきっちり

          【短編日記小説】#2 灰色の月曜日

          【短編日記小説】#1 壊れた樋

           ダンボールの上に砂を塗したような、柔らかな雨音。シューっと水を切る爽快な車の走行音。少し癖のある潮気を運ぶ涼やかな海風。それら地上の光景を映す、何処からともなく差し込む、人工的な街灯り。  夜10時前。ほぼ毎日のように呷るひとり酒を終え、大して酔ってもいないがシメの晩御飯に備えるべく、気休めの腹ごなしにと外の風にあたりに家を出たhは、その前方に、案山子のように突っ立っているようで実は動いている、黒々とした物陰に、若干の動揺を覚えるのだった。  生来人嫌いで厭世主義にまで傾倒

          【短編日記小説】#1 壊れた樋

          寂びた落書き #3

          「おーい、酒やー」   柄の悪い常連客達の大声が、是非もなく店内の様子を賑やかに、華やかに彩っていた。 「はい、ただいま」  何ら卑屈になる事なく、愛想の良い態度でテーブルへと酒を運ぶ侑司の母紗季。有難い事に彼女が実家の一階で経営するこの居酒屋は、何時もこのような感じで賑わいを見せ、この少し寂れた昔ながらの下町の雰囲気に、オアシス的な存在として愛されていた。  漁師町でもあった為、懇意にして貰っている漁師や水産会社からは結構な頻度で旬の魚介類等も頂戴し、時にはそれを商売品とし

          寂びた落書き #3

          寂びた落書き #2

           幼い頃に訊かれがちな夢という名の将来像。この質問に即答出来た試しがなかった侑司の、自分を情けないとは思いながらも無理をしてまで答える必要などないといった、二面性のある思考原理は今も尚健在で、吹く風や幼子の歩みの如く気まぐれな生活を送っていた彼にとっての仕事というものは、単なる生きて行く為の一つの術や暇潰しという、虚しいツールでしかなく、過ぎ去って行く時間という概念も所詮は事を明らかにする、一つの形式だった座標としか捉える事が出来なかった。  一般的には朝、日が昇ってから落ち

          寂びた落書き #2

          寂びた落書き #1

           どこか物足りない淡青なだけの空模様が、時間の経過と共に黄色染みた朱に染まり薄暮を経て、やがては黒く暗い闇に落ち着く。  従える雲の一つもなかったこの日の太陽は、その力や地上に告げる意思を内包させたまま大人しく姿を消してしまったのだろうか。代わりに現れた月や星が悠々と夜空を泳ぎながら放つ白々とした採光が、夜の街に虚飾の雅を授けようとする理の当然。  そう高を括り、大自然の無限を知ったかぶりで解釈してしまう、人類の一部であり一人の男でもある石川侑司という、至って凡庸な人間が見上

          寂びた落書き #1

          志の果てに #11

                 終章    全てのものを失った時、人はどういう行動に出るだろう。泣きながら発狂する者、他者に危害を加える者、無理に笑って莫迦になる者、ただ茫然自失となり死を願う者、実際に死んでしまう者。  最後の死ぬ事以外は一通り経験した修司であった。  33歳になった彼はこの三年の間に様々な経験をしながら、自我を捨てる修行に励んでいた。  まずは工務店を辞め、また無職の身となって人生を彷徨い、改めて自分という存在を見つめ直す為に数ヶ月間の旅をしていた。  主に西日本を中心と

          志の果てに #11

          志の果てに #10

           無性に気が急く。何故咲樹が家にまで来たのかという理由などはどうでも良かった。健二、義久。この二人の件では結局悪い結果しか残せなかった。その悔いが三番目に成りつつある咲樹に向けられたのか。また失敗に終わる可能性もある。寧ろそっちの方が大きいのではなかろうか。いや、三度目の正直という言葉もある。思い続けてさえいれば、何時かは報われるのが人の世の習い、と前向きに捉えたい。  でもやはり何かが違う。今こうして自分の足を進ませているのは、そんな短絡的ながらも人間らしい、世俗的な思考か

          志の果てに #10

          志の果てに #9

           治に居て乱を忘れず。小規模ながらも、今回の訪問ではそこまでの覚悟をしていた修司。  如何に幼馴染とはいえ健二とは喧嘩ばかりしていた間柄で、約十年も会っていない。この状態から思索するに、普通に考えれば修司のとった行動は馬鹿げているだろう。健二の親とて、修司の事を内心訝っていたに違いない。こう判断する時点で、修司も亦客観的思考は持ち合わせていた。  だが、その中にある、いやそれも含めた自意識という感覚が素直に働いたからこそ今、ここに立っているのだ。悔いはない。  間を置いて二回

          志の果てに #9

          志の果てに #8

           いくら旧知の仲とはいえ、他者に対し教えを施すような自惚れた考え方は持っていなかったまでも、義久がよく言う、 「お前は俺の親かいや?」  という言葉だけは的を得ていたように思われる。  ここでいう修司の思惑とは正にその事を一気に翻すぐらいの、強力な精神性を以て義久を説き伏せたいといった、純粋な願いから来るもので、決して彼の人格を否定するつもりなどはさらさら無かった。  情に脆い修司は結局数千円の金を貸し、相変わらず愛想のない義久の態度を訝りながらも、何故か安心感に充たされ帰途

          志の果てに #8

          運動と精神の関係性(初めての雑談)

                春の海  潮汐に見る  ひとごころ(笑)  何時も全くウケていない小説(駄文)を披露しているので、たまにぐらいは雑談もいいかなと思い、書いてみる事にしました。  しかし、すっかり温くなりましたね。外に出て身体を動かしているとまるで夏のような暑さを感じます。半袖の方も結構目につきますし、海岸線をウォーキングしていると、上半身裸の人も居ました。勿論男性ですけど(笑)  という事で(どういう事やねんと)、身体を動かす事と精神の関係性は、どうなっているのかという話ですね

          運動と精神の関係性(初めての雑談)

          志の果てに #7

           数年のブランクを克服するというよりは、寧ろゼロから再出発するつもりで仕事に精を出し、親方や他の職人達ともそれなりに親交を深めて行く修司であった。  悪癖とも言える、人前で嫌な顔つきをしなかった事は、彼に備わっていて隠れていた、稚拙なまでの素直さが、無意識裡に引き出された為か。  早や八月下旬。うるさい蝉の鳴き声も少しは落ち着き、暑い中にも心なしか涼やかな風が吹いているように思える。夏至から比べると1時間でも早く沈んでしまう日の光が、何処か淋しく映る。それよりも淋しく感じるの

          志の果てに #7

          志の果てに #6

                        二章    心は不器用なくせに手先は器用だった修司は、以前務めていた工務店の親方に、アルバイトで働かさせて貰うよう人知れず頼み込んでいたのだった。  少しの躊躇いを辞さないまでも、快く承諾してくれたその親方の好意は有り難かった。  今更悔いても及ばない、退職した理由、原因を忘れる事なく、いざ鎌倉とまでは行かないまでも、それなりの自分と親方、その他の職人に対する贖いを以て仕事に勤しむ修司。その表情は相変わらずの辛辣極まりない、少なくとも垢抜けてはい

          志の果てに #6