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なぁ、生きるってなんだよ
結果から云えば、私は生き延びた。つまりは、失敗に終わったとも言える。夏は別れを告げたのにも関わらず、まだ熱の残る季節だった。
目を覚ましたのは、太陽が頭上いっぱいに登った、川沿いの遊歩道にあるベンチの上だった。最後の記憶は眼前に広がる川だった気もするし、橋の欄干によじ登った自分の姿のような気もする。
そこからは曖昧だ。
重たい身体をどうにか持ち上げると、髪が、脚が、洋服が、汗か水かも分からぬままにぐっしょりと濡れていた。
昨日、ふいと『シニタイ』が加速した。家を抜け出したのは夜更け過ぎで、そこから何時間も歩いてひとつの川を見つけた。
まだ、朝日が登り始めて直ぐのすれ違う人の顔が分からない程の時間だった。
「この川なら、助からないだろうな」
そう思った。
死にたい理由はいくつもあった。
母親の過剰な期待、その母の死、父親の無関心、兄達との離縁、友人からの連絡、担任教師からの心配。挙げてもキリが無い程のその全てが重圧となり、気がつけば私は家を抜け出して、そこに居た。
自分のやりたいこと、好きなことなんて、とうの昔に考えることは辞めていた。誰かが正しいと、こうしろと言うことを従順な仔犬のように聞いてきた。
周りを眺める。人は居ない。欄干に立つ。
あと一歩、空を踏めば私は自由になる。
「……冬になったらグラコロでも食べたいねぇ」
顔も、名前も知らない、ブルーライトに照らされた画面の向こうの友人がそんな話をしていたことを思い出した。
(ハンバーガー、食べたいな……)
ふとそんなことを思う。
そうか、これが生きる理由か。
ふいとそんなことに気がつく。
多分みんなは随分とまえに気がついていて、それほどしょうがない事実で、現実で。僕だけが気づいていなかった。実際は違うかも知れないが、今はそういうことにしよう。
辛くて苦しかった私は、確実に今まで共に歩いてきた。嬉しくて楽しかった私も、絶対に今まで共に歩いてきた。
今から私はワタシを殺すことにする。
藻掻く為、喘ぐ為、生きる為、紡ぐ為、
薄ら笑いの私が目を瞑り、空への一歩を踏み出した。
〆