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挑戦

まさかの診断

5年前の50歳
自分の異常な症状に神経系の病気だとはわかっていたが自己診断の結果これだけは違うだろうと除外していた病名を告げられた。
えっ?この病気の症状と違う気がするけど・・・。家系的にもこの病気の人はいないけど・・・。と、どうにかして否定したい自分がいた。

人生設計

それから2年後、娘達が大学を卒業し自立した。
私は思わぬ病気になったものの内服管理のおかげで表面的には支障なく仕事ができた。
しかし娘達が無事に自立して肩の荷が下りたのと同時に自分の今後について
ぼんやりと考えるようになった。

私の1日は職場と家の往復で終わり、たまの休日も疲れ果てている。車で10分程度の距離に住む年老いて1人で頑張っている母親を訪ねてあげる元気すらない。娘達も今後結婚・出産と私の助けを求める時がくるはずだ。その時のために身軽でありたい。
そして何よりも私の病気は速度はわからないものの必ず進行する。このまま仕事に追われて後悔するのは嫌だと思い始めた。体力的にも精神的にも余裕が欲しかった。

最初の決断

まず、進行性の病気である以上、職場に迷惑をかける可能性もあるため自分の引き際を考えなければならない。これは必須だ。そして先述の思いと合わせフェードアウトしていこうと決めた。この時点で52歳。
「円満」を強く願っていたはずの私だったが最終的には規約通りの期限を定めた「退職願」を突き付けた形で退職した。この時54歳。

でも、こうでもしなければ自分の身体も心も守れないと思ったし実際にこの決断があったからこその現在であると胸を張って言える。

更なる決断

退職後、親孝行をしながら自分の自由な時間を楽しもうと考えていた。知り合いからお仕事のお誘いを頂いたりもしたが今は休みでいたいと思っていた。そして決められた来所日に行ったハローワークで、ある講座を知る。
「これ行ってみたい!」
そこで私の得意とする直観を信じて動きはじめた。パソコンは電子カルテや家で簡単な作業ができる程度で自信がないも問い合わせると「やる気」があれば大丈夫と言われた。やる気は十分にある。早速願書を出して試験に備え晴れて合格した。

再びの学生生活

始まった学生生活は年齢性別職業さまざまの21名。
心配していた通り私のパソコン力はクラス最下位レベル。やっと打ち込み終わって顔を上げると「ここは何処?」状態で授業は進んでいる。先生が何語を話しているのかわからない程度にわからない。暗号を打ち込んでいるとしか思えないコーディング。
後ろからスタンバってくださっているサブの先生を呼びっぱなしの私。

今までそれなりに仕事をこなし評価も得てきたつもりだった。今の私はきっと誰もが「この人なぜこの講座を選んだのだろう」と思っているだろうなと思った反面、やりたかったことだ!見栄も恥も捨てて振り落とされないようにしがみつこうと決めた。

濃密すぎる6ヶ月間

パソコン全てにおいて周りより劣っている私は人生において1番といえるほど勉強をした。それこそ食事や睡眠の時間も惜しいと思えた。

この講座中、同年代の存在は心強かった。記憶力の衰えなど共感し合える。
と同時に若い力のすばらしさも実感した。
子供の頃からパソコンや携帯電話に触れてきたとはいえ知識技術ともに優れていたし何より私が、あたふたしていても、さり気なく助けてくれた。問えば惜しみなく知識を分け与えてくれ居残りしてまで教えてくれる。人前でも、しっかりはっきり物が言える。群れず独りで行動できるが協調性もある。男子にいたっては私の夫には持ち合わせていないスマートな優しさ気配りが見え、育ちなのか性格なのか時代なのかと同世代で盛り上がった。

収穫

私は「自分で何か仕事をしたい」というふわっとした思いでこの講座を受けた。そこで今まで自分がいかに狭い世界で生きてきて専門以外は何もできないかを思い知らされた。
が、何よりの収穫は大きな出会いだ。居残りして勉強するうちに仲良くなった少し年上の「姉さん」は私の好きなこと・やりたいことを話すと「何処から何の声がかかるかわからない」でも「動かないと何も起こらない」「年を重ねたからこそ表現出来ることもある」「挑戦することに時間を費やしてみるべきだ」と背中を押してくれた。その人は私と同じようにこのままでは
人生後悔すると思い、好きだったことを極めるために動き始め努力と挑戦を重ねて現在は仕事として掴み取っている。バイタリティーに溢れ人脈があり存在自体に説得力がある。
そして今こうやってnoteに投稿しているのは、いつも私を励まし教えてくれ楽しませてくれ仲良くしてくれた前の席だった若い男子がnoteの存在を教えてくれたからなのだ。

挑戦

あの時自分で決断して退職してハロートレーニングを受けたからこそ、いくつになっても挑戦することは可能だし知識・技術・資格は勿論のことだが「出会い」という大収穫を得た。だからこそ今こうやってずっと好きだった「書くこと」に更なる挑戦を始めている。まさに決断こそが挑戦なのかもしれない。
あの時自分で選んでよかったと心から思える。


#自分で選んでよかったこと

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