バニシング・ポイントが踊る
すごいスピードで坂を下っていく車が一台おりました。
その車は幽霊の運転する車でありまして、運悪く中を覗いてしまった人はもう大変だったそうであります。
何しろ車内に座席がひとつもない。もちろん運転席もない。足元を見ればアクセルもブレーキもクラッチもなく、ただ足置きだけがジャンプ台の如くに鎮座するばかり。
そのくせ、座席が無くてがらんどうの車内には「アクセル」と大書された真っ白な革ジャンが吊るされて、風もないのにはたはたと揺れていたそうであります。
すれ違いざまにこんな車内を偶然見てしまった対向車はもう運の尽き。あっ、と驚いている間に、自分の車の中でも座席が消え、運転席が消え、ペダルが消え。最後には運転手も消えて、真っ白な革ジャンだけが残ったとかいうことです。
坂を走るときは、対向車の車内を見ないようにした方がいいかもしれません……。
「……なんかさあ、やめてよ。怖いんだか怖くないんだかよくわかんない怪談」
「怖いでしょ。人が消えてるのよ?」
「こっちはその前に白い革ジャンでもうお腹いっぱいだって……革ジャンのくだりノイズでしょ、完全に」
「それが面白くてね、地域によっては『青い革ジャン』って伝わってるところもあるんですって」
「何にも面白くないよ……」
少女たちは知りませんでした。
彼女たちが聞いた怪談は、たしかに大筋こそ変わってはいないものの、白テレビ局(スタッフが全員白塗りのテレビ局)が尺の都合で勝手に編集を施したいわば「加工品」だったのです。加工品が面白くないのは当然のこと。加工品が天然ものと同じくらいの値打ちを持つようになるためには、もう少し技術の進歩を待たなくてはなりません。
ところで、「加工品」に対する「天然もの」……白テレビ局が編集を施す前の怪談は、一体どのようなものだったのでしょうか?
わかりません。
白テレビ局は、地元民が大事に食べるような部分も躊躇なく捨ててしまいました。
時間は決して戻りません。どれだけ困ったことになっても、です。白テレビ局が捨ててしまった元の物語の一部は、砕けて分解され、もう取り返しがつかないほど花壇の土に混ざってしまいました。今さら取り出して修復するなんてことはできないのです。
そんなわけで、彼女たちがこの怪談の元の姿と出会うことはもうありません。
いや、もしかすれば、すごいスピードで坂を下っていく車の中を覗いた時、出会うことはできるかもしれませんが。
あまりおすすめは、できませんね。
(ここでマイケルジャクソンが一句詠む)