怒張する暴力教師
私が中学の頃(1970年代半ば)の体育教師は大概暴力的で、態度の悪い生徒を殴る役目を担っていた。
だから反抗期真っ盛りの我々も、体育教師にだけは逆らったり、茶化したりしないよう注意していた。
うちの学校の男性体育教師(アナウンサー福留功男に似ていた)は、授業のない時も上下に赤茶色のジャージを着用していた。それは夏冬を問わず、学校だけでなく街中でも同様だったので、彼は「イモジャージ」というあだ名で呼ばれていた。
イモジャージも例に漏れず、すぐに暴力を振るう教師だった。
私も「ジャラジャラしている(物事に真面目に取り組んでない様子)」という理由で軽く平手打ちされたが、つい
「俺はジャラジャラなんかしてませんがな」
と口答えしてしまい、拳骨で殴られた。メガネを飛ばされてレンズを割られたうえ
「ジャラジャラするのが悪いんじゃ!」
とさらに怒られた。
今なら新聞ネタ。全国ニュースになる事態だが、当時はこんなことは日常茶飯事であった。
ある冬の日。駅前の書店で級友のKが参考書を探していると、イモジャージが入ってきた。
赤茶色のジャージを着ているので、すぐにわかったという。
イモジャージは背筋を伸ばしてスタスタと早足で書店奥のエロ本のコーナーに向かった。真面目な顔で棚を見渡し、一冊のエロ本を引き抜くと肘を張って本を目の前10cmぐらいまで近づけで立ち読みを始めた。
じっくりと、まさに食い入るように眺め
「ほぉ……」
「いや……これは……」
などといちいち感嘆し、時には顔を上げて
「ふぅ〜」
と息を吐いたりする。
その顔は目が下がり口が半開きで、だらしなくにやけていたという。
「しばらくしたらさぁ……イモジャージのジャージの前が、ギンギンに怒張して突っ張ってきてさぁ……」
イモジャージが本屋で勃起していた!
この噂は一日で全校に広まり、全教室の黒板には、その様子を示したイラストが描かれた。
廊下でイモジャージとすれ違う生徒は、女子も含めて皆、顔を伏せてくすくすと笑い
「イモジャージのジャージの股間がたるんでいるのは、伸縮を繰り返したからだ」
と囁かれ
「怒張を隠さず、そのまま胸を張ってスタスタと歩いて書店から出るイモジャージのモノマネ」
が流行ったのだ。
イモジャージは
「根も葉もない誹謗中傷の噂を流した犯人は誰じゃ」
と真っ赤になって怒り狂い、何故かすぐにKを探り当ててしまった。
「お前じゃな?」
「ち、違います」
「お前じゃろ!」
「違います!」
「お前じゃ!」
「違い……」
「お、お、お前のせいで、わしの教師人生は台無しぞ!」
イモジャージはKを蹴倒して、顔面に無数の往復平手打と拳骨の全力鉄拳制裁を喰らわしたのだった。
(この後、しばらくKは左耳が聞こえなくなったのだ)
私を含む生徒たちはこの様子を遠巻きに眺めるばかりだった。
これまでに無いあまりにも凄惨なバイオレンスに、声が出ないのだ。
イモジャージは
「いいか!教師を馬鹿にしたら、こういう目に遭うんだ!おぼえとけ!」
と言うと、怯える我々を見て
「……何や!そのオドオドした目ぇは?先生が悪いんか?え?悪いんはこいつだろう?いや、お前ら全員が悪い!あらぬ噂を流したこいつも悪いが、広めたお前らも悪い。こいつが今、ぶっ倒れとる責任はお前らにあるんじゃ!わかったか!」
と怒鳴り散らす。
何という理不尽。何という恐ろしさだろう……我々はさらに一歩二歩と後退するしかない。
「先生はこれからも軍隊式にビシビシやっちゃるけんな!これはお前らのためを思うてやっちょるんぞ!何や何や!ビクビクしくさって!まるで先生の方が悪いみたいやないか!言いたいことがあるんやったら、言うてみぃ!意見してみさらせ!」
激昂し意味不明の説教をまくしたてる暴力体育教師。その傍らには顔が腫れた級友が虫の息で横たわっているのだから、この状況で意見などできるはずがない……はずだったが、おずおずと手を挙げた者がいる。
それは田舎から越境入学してきたゴンボという垢抜けぬ大男だった。
「先生ぇ……わし、ひとつ、前から聞きたかったことがあるんじゃが、何でも言うてもええんなら、今、訊ねてもええですかいのぉ?」
どうも、この純朴な田舎少年は、「何でも言ってみろ」というイモジャージの言葉をそのまま受け取り、今回のこの一件とは全く無関係な事案についてこの際訊いておきたい、ということらしい。
田舎者らしいズレっぷりに虚をつかれたイモジャージは、一瞬怒りを忘れて真顔になり
「……ん?……何だ?まぁ言ってみろ……」
と言った。
「あの〜……これは百姓をしとりますうちの爺様が言うていたことなんですが……体育の先生っちゅうのは、同じ先生でも、ちょっと頭が弱い人がなる…っちゅうのは、本当ですかいのう?」
呆然と立ち尽くすイモジャージ。
我々生徒もこのゴンボの質問について、何も反応することができず、ただ固まって沈黙するしかない。
「く……くくく……くくくくく……」
一人忍び笑うのはイモジャージに殴られ、倒れ伏しているKである。
「くくくくくく……」
Kは痛みを堪えながら、涙を流しながら密かに笑っている。
誰も何も言わないので、その囁くような笑い声が、冷たい北風のように冬の校庭に響きわたる……
暴力体育教師イモジャージは、その後、体調不良を理由に教師の職を辞したとされるが、その後の彼を知る者は誰もいない。