人類の進歩と調和を阻むもの
1970年の夏。
小学2年生だった私は「カスのおばちゃん」と呼ばれる親戚に連れられて、日本万国博覧会(大阪万博)を見に行った。
カスのおばちゃんはヒステリーで怒りっぽく、動物も嫌いだ。うちの猫に氷水をかけたこともあるので、私はおばちゃんが好きではなかった。
おばちゃんは
「何でこんな子の面倒を見なければならんのかねぇ」
とずっと不機嫌だったのだが、万博会場に着くと、想像以上の壮大さ、華やかさに感激し、子供のようにはしゃぎ始めたのだ。
そして、太陽の塔の下の「お祭り広場」にバーブ佐竹の姿を見つけたおばちゃんの興奮はピークに達し
「きゃー!バーブ!」
と嬌声を上げて、人混みを掻き分けて、一人でステージの前方に行ってしまった。
残された私は、じっとおばちゃんを待っていたが、いつまで経っても戻ってこない。
私は早く会場を回りたいのだが、人だかりの「お祭り広場」からは、ずっとバーブの歌声が聞こえており、きっと、カスのおばちゃんは、ショーが全部終わるまで、戻ってこないのだ。
私は一人で太陽の塔に入る長い列に並び、太陽の塔内部を見て回った。実に奇妙でシュールな展示物が並んでおり、何がなんだかさっぱりわからない。生命の進化を表した造形には、三葉虫や恐竜があったが、人が多過ぎてじっくり見ることが出来なかった。
(人類の進歩と調和とは案外つまらないものだなぁ……)
塔の外に出ると、お祭り広場からはまだバーブの歌声が聞こえてくる。
私は元の場所に戻って、歌が終わるのを待っていた。
すると銀色の未来的なワンピースを着た金髪碧眼の外人のお姉さんが近づいてきた。
お姉さんは外人なのに
「君、お母さんとはぐれちゃったの?」
と流暢な日本語で訊ねるのだ。
私はこれまで外国人に話しかけられたことがなかったのでドギマギしてしまい、言葉が出てこない。
いや〜世の中にはこんな綺麗な人がいるのか……
「あなた迷子になったの?」
違います。僕はカスのおばちゃんを待っているだけです……と言いたいが、超グラマーで肌が真っ白な美女にあがってしまい口からは
「シュー、シュー」
と息が漏れるだけである。
「困ったわね〜この子、口もきけないわ……」
お姉さんは
「ちょっとこっちに来なさいね」
と優しく言うと、私の手を引いて歩き始めた。
私は太陽の塔の裏側にある「迷子センター」というプレハブの救護施設に連れていかれた(お察しの通り、外人のお姉さんは会場巡視員だったのだ)。
迷子センターに入ると外人のお姉さんは、突然ガニ股歩きになり
「おーい!ベえやん!またアホのガキ、連れてきたで〜」
と先ほどとは違う品のない言葉で叫んだ。
奥から丸首のシャツにステテコ姿のガリガリに痩せた老人が現れ
「チッ」
と舌打ちし
「またか……」
と言った。
「ガキ!こっちゃ、入っとけ!」
老人は恐ろしい吊り目で私を睨み、角材で小突いて、奥の暗い部屋に押し込んだ。
窓がない四畳半ほどの部屋には10人ほどの子供がおり、皆、膝を抱えて俯いていた。
一人の外国人の子供が
「マミー!マミー!」
と泣き叫ぶと、老人は
「うっつぁしい!泣くな!ガキ!」
と怒鳴り、角材で床を叩いた。
「静かにしとらんと、お母ちゃんは来んのぞ!明日になっても来んのぞ!」
老人はドアの横のパイプ椅子にふんぞり返って座り、怯える迷子たちを睥睨すると、テーブルの上に置かれた中華そばをズルズルズルっと汚い音を立てて啜るのだった。
これはまずいことになった。
私は両親共稼ぎの鍵っ子なので、一人でいることは平気だったが
(このままここにいたら、外国の曲馬団に売り飛ばされるのではないか?)
といった子供らしい不安に苛まれた。
しかし、ほんの20分ほどで老人が
「おい!お前らの中にユーシンというガキはおるか?」
と言ってきたのだ。ユーシンとは私のことだ。
「汚いオバハンが迎えに来とるぞ!とっとと帰(けぇ)れ!」
老人は角材で床をバンバン叩いて、私を追い出した。
迷子センターの前には鬼のような顔をしたカスのおばちゃんが立っていた。
おばちゃんは、私の頬を引っ叩いて
「何でじっと待っとらんかった!おばちゃんは血圧が上がってしもうたわ!あんたのおかげでせっかくの万博がめちゃくちゃや!もう帰る!うわー!」
と物凄い剣幕で怒鳴り散らしたのだった。
カスのおばちゃんと迷子センターの老人「べえやん」は、人類の進歩と調和を阻む同類だ……と思った。
(今度の万博にも迷子センターはあるのだろうか?私はそこに注目したいと思う)
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