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怪鳥ポチンコ

 私が子供の頃。周囲の大人は、皆、戦争体験者だったから、日常会話として戦時中の苦労話が聞かれた。
饒舌に何度も同じ話を繰り返すのは当時、銃後にいた人であり、実際に兵隊に取られ、戦闘に参加していた人は逆にあまり語らない……という傾向があったように思う。
 私のおじさんも戦争末期に南方にいたのだが、その時の話をすることはほとんどなかった。
しかし晩年、身体が不自由になり寝たきりに近い状況になってから、ジャングルでの経験をぼちぼち語るようになった。

 おじさんの部隊の駐留地は、ほとんど戦闘とは無縁の地域で、ジャングルを伐採して飛行場を建設するという名目はあったものの、資材の運搬がストップしていたため、実際は何もやることがなかった。間も無く終戦を迎えるという情報もあったので、部隊は精神的にも脱力しており、ごろ寝の日々を過ごしていたという。

 ある晩
ジャングルから人間の悲鳴が聞こえた
というので、翌早朝、おじさん達は探索に出向くことになった。
悲鳴を聞いたのは、部隊駐留の少し前からいた開拓邦人で
「あれは、人間が日本刀で斬り殺される時に発する独特の悲鳴である」
というのだ。だが彼は西南戦争に従軍していたという80歳をこえた半ボケ老人であったから、本当に悲鳴を聞いたのか?さえ疑わしかった。

 探索は数時間続いたが、ジャングルに異常は認められなかった。悲鳴を上げるとすれば部隊外の人間だが、原住民も夜の密林には入らない。やはり老人の聞き間違いではないか?という結論に達した。
では帰りますか……という段になり、おじさんは妙な気配を感じた。
ジャングルの奥から、何かが見つめている。それもかなり高い位置から、鋭い視線が送られている……ような気がするのだ。
「オモジャ・イモ・マカパレ?(誰かいるのか)」
しかしその現地語の問いに答える者はいなかった。

 部隊に帰ったおじさんは
「何かいたような気がする」
と一応、報告をしたが、ジャングルには野生の猿などもいるので、神経過敏になって、そうした動物の存在を察知しただけだろう。と笑われた。
「案外、悲鳴というのも発情期の猿の鳴き声かもしれんなぁ」
と、おじさんも納得した。

 翌晩、再び老人が
「日本刀で斬り殺される人の悲鳴が聞こえた」
と訴えてきた。またか……
しかし今回は違った。悲鳴を聞いたのは老人だけではなかったのだ。部隊の歩哨も
「ジャングルから人の叫び声がする!」
と慌てているのである。
「あるいは敵襲かもしれない」
怠惰な部隊に緊張が走った。
おじさんは、物見櫓から声の聞こえたあたりに投光するよう指示をし、緊急時のサイレンも鳴らした。
深夜の密林を切り裂く投光器の輝きとサイレンの唸り。

 これに驚いた原住民たちが兵舎に集まってきた。緊急サイレンが鳴るのは陣地設営以来初めてのことなのである。
「アゴパケ!ンゴパケ!スルミナ!チョッパカ!アホ!カベヌリノタタリメ!(ジャングルから人間の叫び声が聞こえた。敵襲に備えよ!)」
それを聞いた原住民たちは、顔を見合わせ、口々に
ポチンコ ポチンコ
と囁き合った。

ポチンコ?ポチンコとは何か?」
と問うと
「鳥だ。デカい飛ばない鳥。身丈は3mもある。羽根が真っ赤で、嘴が黄色。蛇を食って、頭だけ吐き出す」
と言う。
「そのチン……いやポチンコは、あんな鳴き声で鳴くのか?」

「……ポチンコは人が死ぬ時の断末魔の声で鳴く言われているが……その声を聞いた者は間も無く死ぬ。つまり、死が近づいた者にのみポチンコの鳴き声が聞こえるのだ。だが、ポチンコ自体は人を襲ったりすることはない無害な鳥だ。ポチンコは我々と関わりなく、ずっと昔から生きている。爺様のそのまた爺様の時代から生きているのだ」

 馬鹿馬鹿しい未開土民らしい迷信だ……
が……おじさんは思い出した。
あのジャングルで感じた高所からの鋭い眼線……あれは何だったのか?
もしやあれこそ身丈3mの巨鳥の眼光ではなかったか?
……いや、しかし、あの暗緑色の密林において真っ赤な大怪鳥を見逃すことがあるだろうか?

おじさんは原住民に
「ポコ……否、ポチンコは本当に赤いのか?誰か見た者はいるのか?」
と訊ねた。原住民は
「ポチンコを実際に見た者はいない。先にも言ったように、あれは我々と無関係に存在している鳥だ。身丈も色も言い伝えでしかない。しかしポチンコは確実に死を告げる。だから確かに存在する」
と断言した。

(……意味がわからない。出鱈目だ。)

その時だった。
「ウギャー!」
という断末魔の大音声が、兵舎の裏から響き渡ったのだ。

「死んでる〜!歩哨が斬られて、裏で死んでるぞ!」
と誰かが叫んでいる。
歩哨?
そうだ……歩哨は、ジャングルから聞こえる悲鳴を聞いたその人じゃないか。
……ではあの老人は?先に怪鳥ポチンコの声を聞いた……あの西南戦争生き残りの老人はどうした?
見渡しても、そこに老人の姿はない。


 ……歩哨を日本刀で斬り殺したのは、老人であった。
そして老人は、死んだ歩哨の傍らで、自刃して果てていたのだ。
あたりは血の海で真っ赤のはずだが、闇と緑に埋もれて、鮮やかであるはずの血の色彩が全く感じられない。
赤が見えないのだ。


 ポチンコの鳴き声を聞いた者は死ぬ。原住民の言い伝えは真実だったのか?それとも偶然の凶事か?
その考察は十分になされなかった。事件の直後、ただちに戦争が終結したからである。

 復員してから結婚した奥さんの話では、おじさんは夜眠る時、必ずチリガミを丸めて唾で濡らし、耳の穴に押し込んでいたという。
それは死を告げるチン……否、ポチンコの声を聞かぬための儀式だったのだろうか?

おじさんは耳栓を忘れた晩に、心不全で亡くなった。

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