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映画館で死んだ男
1980年代中ごろ。
ある映画館のロビーでボサ〜っと上映時間までの時間を潰していた私に、知らない痩せた青年が話しかけてきた。
「あなたは、よくこの映画館に来てますね」
私が
「はあ……月に二、三度は来てますが……」
と答えると、青年は
「じゃあ、ここが10年前まで成人映画ばかり上映していたことも知ってますね?」
と言う。
私は数年前にこの地に越してきたので、そんなことは知らなかった。
「実は10年前、ここで事件があったんです……10年前。この映画館は成人映画の専門館で、東西のポルノ映画ばかり上映していたんです……」
そんな映画館に一人の若者が入場した。彼は高校生で、成人映画を見る資格を有して無かったが、こうした映画館はいちいち年齢を確認することはしないものだ。
その若者は……
「あぁ、その話なら知ってますよ」
と私は口を挟んだ。
それは有名なフォークロアである。
受験勉強の息抜きに映画を見ようとしたガリ勉高校生が、間違って成人映画館に入ってしまい、その内容の過激さに興奮。下半身に血が集中し過ぎて、急激な脳貧血を起こし「死んだ」という都市伝説である。
動かぬ若者が担架に乗せられて映画館から運び出される映像が、テレビのニュースで流れたが、その股間が「ピラミッドのように盛り上がっていた」というのがオチである。
これは当時、全国どこでも聞かれた「笑い話」なのだ。
……私が笑いながらそう言うと、青年も笑い顔になり
「やっぱり、あなたもこの話は、作り話だと思いますか?」
と問う。
「そりゃそうでしょう。まぁ、よほど感受性の高い人なら、ポルノや恐怖映画でショックを受けて死ぬこともあるかもしれませんが、この話は前提が狂ってるんですよ。「他の映画館と間違って成人映画専門館に入る」なんてことはあり得ないですよ。成人映画館の前には猥褻なポスターもいっぱい貼ってあるし、雰囲気からして違うから」
私の見解を静かに聞いていた青年は
「……しかし、事件というものは、常識を踏み外すことで発生します。この高校生は、本当は隣の映画館でやっていた戦争映画を見るつもりだった。でも、映画館に行き慣れてないこともあり……そして何よりも受験のことで頭がいっぱいになっておりノイローゼ気味だった……視野がとても狭くなってたんです。だからフラフラと成人映画専門館に入ってしまった。あるいは彼の中には、一度、成人向け映画を見てみたいという若者らしい欲求があったのかもしれないですけどね……。受験勉強で疲弊した彼の精神と肉体は、成人映画の強い刺激に耐えられなかったのです……」
……とまるで我が事のように語り、恥ずかしそうな笑みを浮かべた。
(そんなことがあるのか?しかし、この青年は誰なんだろう?)
私が目線を上げると、そこにいたはずの青年の姿がない。
(消えた……)
上映開始を告げるブザーが鳴り始める。